「東寿し」のある正面通は、本願寺の正面を通る道。周辺には、豊国神社や三十三間堂のほか東本願寺、智積院など寺社仏閣が点在する。街の中心地からは少し離れているが、それがまたいいのだと常連は言う。先日、訪ねたときに隣り合わせた客は、長崎からの旅人だった。京都へ来ることがあると、必ず「東寿し」を訪ねるそうだ。
鮨好きの中には、「つまみはいらない。にぎりだけでいい」という人がいる。小料理屋のような「東寿し」でも、もちろんそれも大丈夫。
昼はにぎりのセットもあって、さくっとランチもできる。夜も「おまかせで十貫」なんていう鮨店らしい食べ方もできる。
ただ、私が見るところ、やっぱりここに来る客は料理も目当てという人が大半。なかには、料理を何品か食べて、鮨をつままずに帰る人もいる。というか、私も料理+鉄火巻だけで帰ったことがある。そんな不作法も許してくれる懐の深さが「東寿し」を人気店にした理由のひとつかもしれない。
充実の一品料理とお値打ち価格。だけど、それだけが「東寿し」の魅力ではない。常連客はもちろんのこと、初めての人もすぐに馴染めるのは、店主の山本勲さんの人柄だろう。
気さくで明るい、誰にも気軽に話しかけてくれる。
先日、私の隣で、シンガポールから来た親子3人が、目をキラキラさせながら鮨を食べていた。山本さんは、ひとつひとつの鮨を英語で説明しておられた。「英語話せるんですね!」と驚く私に、「外国の方も来てくださるから、ネタの説明だけは覚えたんです」とおっしゃった。いや、そのサービス精神ですよ!と思う。
言葉が通じない国で優しくされると、一挙にその国が好きになる。日本の方だってそれは同じ。初めての京都で、それも鮨屋で、「お造り盛り合わせは、何品くらいにしましょう?」「メニューにない日本酒もありますよ」なんて優しく言われたら、すぐにファンになる。
山本さんがそんな人だからか。息子の潤さんも本当に控えめで優しい。笑顔でない彼を見たことがない。ここに居る客はみんな笑っている。だから足が向く。
ここに通い始めた当初から、山本さんは「うちは天然の魚しか使わない」とおっしゃっていた。「なのに、どうしてこんな値段?」とうかがうと、「こんな場所ですから。街中や祇園と同じような値段では、申し訳ない」と。さらに、もともとここが家だったから家賃もいらないのだと。
そんな姿勢や味は、ことさらにPRしなくても人を呼ぶ。特に京都は口コミの町だ。いつ行ってもほぼ満席。店が空いているのを見たことがない。
潤さんが加わってからは、「蟹グラタン」や「和牛の炙り」など新メニューも増え、それがまた評判になっている。ただし、新メニューは全体の1割程度。元からあるメニューを大切にしているから、「あれを食べたい」と思う客も安心なのだ。
そういえば、最近「Uber eats」でも、「東寿し」のにぎりを注文できるようになった。忙しいときは、本当にありがたい。家で食べられるのだから。ただ、「一度頼んでみよう」と思いつつも、まだ注文したことがない。「東寿し」という文字を見た途端、「やっぱり行こう」と思ってしまうからだ。
どうせなら、「大将とのやりとりも楽しみたい」と、山本さんの顔が思い浮かぶ。
20年は相当長い付き合いだ。当時通っていた店でも、諸事情があっていまは行かなくなった店もあるから。
「東寿し」は、20年前もいまも変わらない。「東寿し」との関係はまったく変わらない。いつ行っても美味しい、いつ行っても笑顔。そんな店がひとつでもあれば人生は楽しくなるのだ。
文:中井シノブ 写真:ハリー中西