旬の魚料理はもちろんのこと、ふぐも蟹も和牛もある。一品料理のすべてが秀逸で味わい深い。理想的な料理屋と思いきや、なんと鮨屋。京都駅の北側、三十三間堂や国立博物館に近い「東寿し」は、江戸前の鮨屋とも京都の鮨割烹とも違う独自路線をいく。造りや焼物、天ぷらなど酒の進む料理を味わった後は、にぎりや巻物でまた一杯。どこまでも酒飲みを楽しませてくれる鮨屋なのである。
「東寿し」との出合いは、おそらく20年くらい前だったろうか。食いしん坊の友人から、「三十三間堂の近くに良い鮨屋がある」と聞いたのだ。
たまたま近くで仕事があった日、ちょうど昼ごはんを食べ損ねたので、ふらりと暖簾をくぐった。15時という中途半端な時間だったが、昼の12時から夜まで「通し」で開いているのもいいと聞いていたので、迷いはなかった。
カウンター10席ほどの店。そんな時間にも拘わらず、奥に先客がひとり。ご主人とふたりでテレビを観ながら、世間話をしていらした。「なんだか町の食堂みたいでいいなあ」と思ったものだ。
つまみを数種とにぎりにしようと思っていたが、黒板の品書きを見ると、つまみというより小料理屋の一品のようなメニューが並んでいる。こっぺ蟹にぶりたたき、くもこ茶碗蒸しに鯨ベーコンと、お酒が進みそうなものだらけ。その横には、焼ふぐやふぐ唐揚などふぐ料理の品書きもある。
ちょっとつまんでにぎりという思惑が、ガラガラと崩れた。こんな料理があるなら、食べるしかない。「ふぐぶつできます?」と思わずご主人に聞いていた。
東京の友人に「てっさもいいけど、私はふぐぶつ」と言うと、「ふぐぶつって何?」と聞かれる。どうやら関東では「ふぐぶつ」は食べないらしい。というより、ふぐは鮨屋にはない。ふぐはふぐ専門店で食べるものだという。
だが、関西の料理屋にはふぐをぶつ切りにした造り「ふぐぶつ」がたいていある。店によって、もみじおろしで和えたり、白子がからんでいたりとさまざま。店ごとに個性があるのが、またいいのだ。
ちなみに「ふぐ」は、国内水揚げの7割を関西で消費しているそうだ。産地の山口や北九州より大阪、京都で食べるほうが多い。そういえば、大阪にはふぐ料理を値ごろ価格で食べさせてくれる店がたくさんある。
ところで、私はその日、「東寿し」の「ふぐぶつ」に感動。身と皮とポン酢のバランスがなんとも良い。この料理を食べたせい?で、食いしん坊が加速した。
大好物の「きずし」を注文する。この一皿で日本酒一合はいけそうだ。ほどよく脂ののった鯖は、生過ぎず酢〆過ぎず。一緒に出される生姜入りの甘めの酢を軽くつけると、また味変!食いしん坊だけでなく呑み助も止まらなくなった。
初めてだったから、さすがに店主の山本勲さんともそれほど会話を交わすこともなく、ひたすらに食べて飲んだ。いまでもよく、この日の話になるが、山本さんは「昼に来て、よく食べてしっかり飲む人やなあ」と思ったそうだ。それも女性。「いったい何をしている人なんだろう?」と少々不思議だったという。
いまは、女子のひとり飲みなんていうのも当たり前だが、20年前は、よほどの酒飲みでないと昼間のひとり酒はない。不信?がられてもしょうがない。
その日から、私の「東寿し」通いは始まり、いまも続いている。月に1度か2度。ひとりのこともあるが、たくさん食べたい日は友人を誘って、あれこれ料理を注文する。ふぐがある時期は、造りも焼きもから揚げもと一通り。ハイボールもあるからハイカラも楽しめる。
ふぐやすっぽんなど小鍋で飲むのもいい。それぞれの旨味が溶け出した出汁もお酒に合う。鮨をつまみながら小鍋をお椀代わりに味わう人も多い。寿司と料理を行ったり来たり。食べたいテンポ、食べたい量を味わえるのが、なによりの幸せ。
お店の紹介が最後になってしまった……。
「東寿し」は、昭和38年に山本さんのお父様が開業した店で、当時は鮨以外にうどんや丼などもある「大衆食堂的」な店だったそうだ。その後、昭和56年頃に山本さんが修業先の鮨店から戻ったのを機に、鮨を充実させ、本格的な日本料理も出すようになった。
数年前からは息子の潤さんも修業先から戻り、親子ふたりでカウンターに立つ。おふたりの阿吽の呼吸というか、めくばせで段取りが決まる様子は見事というしかない。
何十年も通う常連さんから、ホテルのコンシェルジュに紹介されて訪れる旅の人まで、ほんとうにいろんな人がこの店を訪れる。京都の旦那衆も贔屓にしているから、予約は必須。
ただし、昼と夜の間、中途半端な時間帯なら、席が空いていることもある。
――つづく。
文:中井シノブ 写真:ハリー中西