若い頃は肉料理といえば焼肉かステーキだった。それがいつ頃からだろうか。カルビやサーロインを食べたいと思っても、実際食べると「これ以上は無理かも……」と、途中で手が止まるようになった。もっともっとと思っても体がついていかない。だからというべきか。「肉が食べたい」と思うとき、あっさりするりと食べられる店があると、本当にありがたい。
牛肉を食べるならホルモンよりロースやサーロインと思っていた。もちろん、いまもそれらは好きな肉。が、最近はより脂身の少ない内モモやランプを選ぶようになった。
もっと言うなら、タンやハツ(心臓)、ミノなど乙な旨味のあるホルモンが好きになっている。ロースもホルモンもさらりと食べたい。
そんな欲望を満たしてくれるのが「肉料理 澁谷」なのだ。お腹具合が許すなら、生3種、湯引きや煮込み、焼き料理といった13種ほどの料理をすべて注文したいくらい。
どんな順で食べるかはそれぞれの客の好みだが、お店のお薦めはやはり生から。心臓の生(刺身)は、脂分は少なく、だからといって硬さはない。コリコリというよりサクッとした歯ごたえ。さらっとして味わいある特製のタレがよく合う。
ホルモンはそれほど食べたことがないという人も、このあたりから始めればきっとホルモンが好きになる。クセも臭みもない淡泊さで、食感やほどよい旨味に魅せられる。
カウンター席は上級者用と思われがちだが、実は初心者にこそ座ってほしい場所だ。何を食べるか、どんなふうに食べるかと迷ったらサービスの澁谷周子さんに相談してほしい。丁寧に説明してくれるうえ、好みも聞いて、それにあった料理を薦めてくれる。
この店のいちばんの魅力は料理の味ではあるが、それと同じくらい周子さんの親身なサービスもクセになる(笑)。一見でもまるで常連のように接してくれるのだ。
刺身(生)の後は、ミノの湯引きにカイワレ巻。極上のロース肉でカイワレを巻いた「カイワレ巻」は人気メニューのひとつだ。生でも食べられるロースだから、焼き加減は表面にちょっと色がつくくらいの超レア。焼けた肉と脂の香ばしいかおり、ぎゅっと噛みしめたときにあふれる肉汁、カイワレのシャキッとした食感と辛味もあわさってなんともいえない美味しさ。おもわず目を閉じ、そのバランスのいい味わいを少しでも長く感じたくなる。
煮込み料理は、テール煮込みやテールの煮こごりが定番で、日によってタンシチューがメニューに並ぶ。私が訪ねた日は、運よくタンシチューがあった。とろけるような柔らかさ。よく食レポなどで「噛まなくてもいいくらい」という言葉を聞くけれど、誰かの言葉を借りるまでもなく、そう表現するのが適切で、まさにそんな感じ。デミグラスに味噌を加えたソースで5~6時間煮込んだタンは、自身の旨味を失うどころか、ソースにもほどよい脂を溶け込ませるから力強い。
この店をひと言で表すなら、「おいしい肉料理店」というより、「澁谷さんの経験を味わえる店」といったほうがいいかもしれない。厳しい目で肉を選び、それぞれの部位に適した調理で食べさせる。メニューはシンプルだが、味わいはどこまでも深い。澁谷さんの歩んできた肉の道を辿らせていただいているかのよう。
料理を食べ進むほどに、「ありがたい」という気持ちがしみじみと心を満たすのだ。
文:中井シノブ 写真:ハリー中西