かつてのドイツでは、親のワイン造りを継ぐことは明るい未来を意味していなかったそうだ。ある日、そんな状況に危機感を覚えた若者の集団が未来を変えるため誓いを立てる。ドイツワインの夜明けの始まりだった。
1980年代の苦悩の時代を経て、ドイツのラインヘッセンの生産者たちは動き出していた。
1992年には「セレクション・ラインヘッセン」を発足。樹齢15年以上の木から収穫したぶどうのみを使うこと。手作業でぶどうを摘むこと。ぶどうの収穫量は55hl/ha以下に落とすこと。そして果汁糖度にも高い基準を設けた。
良質なワインをつくるための基礎となるその基準をクリアしたワインには「セレクション・ラインヘッセン」というマークをつけて、差別化した。
そして、決定的な変革の波は起きた。1970年代以降生まれの20代後半の若い生産者が中心となり、2001年に結成された「メッセージ・イン・ア・ボトル」。
グループ名はあのイギリスのロックバンド、ザ・ポリスの曲名からつけられた。「ボトルのなかにメッセージがある」。それはワインの味わいに自分たちの思想、哲学、テロワールが内包されている、との高らかな表明だった。
最初はワインバーに集い、「テロワールを映した、すごいワインを造ろう」という志をともにする飲み仲間だった。そのメンバーが10名に増えたことで、オフィシャルのグループへと発展を遂げる。
発起人であり、リーダーシップを取ったのはフィリップ・ヴィットマン、クラウス=ペーター・ケラーといった現在のラインヘッセンの眩いスター生産者たち。以前は、ドイツワインの生産者は嫉妬心やライバル心が強く、他人を自らのセラーに入れるのを嫌った。けれど、彼らは自由に情報を交換しあい、意識を共有しあった。
そのひとり、シュテンペルの当主ダニエル・ヴァグナーさんはこう語る。
「ラインヘッセンは自然条件がほぼ完璧なので、昔はワインの名産地として名を馳せていました。でも、甘口のリープフラウミルヒにより、大量生産地というマイナスイメージに苦しんだ。1980年代後半は、現在最上と謳われる畑の多くが捨てられて、誰にも見向きもされない土地になってしまったんです。こうした状況を見て、多くの若手生産者が土地の持つポテンシャルを掘り起こし、再発見したいと強く望むようになった。私もそのひとりです。フィリップ・ヴィットマンなどに大きな影響を受けて、真のワイン造りへと目覚めていきました」
労働的に決して楽とはいえないワイン造りをしても誰にも評価されず、低収入にあえぎ、自信を失っていく両親たちの姿。当時、親の跡を継ぎ、生産者になる道を選ぶことは、決して輝かしい未来を意味しなかった。そんな現状を、彼らはテロワールと自分を信じて、打破した。
そうしてドラスティックに変わった彼らのワインは、やがてマスコミやソムリエたちの注視を集めていく。ワインの評価が高まり、それにより生産者のモチベーションも高まるという好循環に湧いたのだった。
――つづく。
文:鳥海美奈子 写真:German Wine Institute/鳥海美奈子