
進化を続ける東京の町焼肉。今回ご紹介するのは、老舗洋食店から酒場、スナックまでさまざまな飲食店が軒を連ねる町・五反田に2024年8月にオープンした「塩焼肉あぐら」です。
五反田はいいカウンターのある町だ。熟年のコックさんが切り盛りする老舗洋食店から、のれんの大きな中華酒場、森ビルでもない「五反田ヒルズ」(通称)内でついはしごしてしまうスナックまで、無数の心地いいカウンターが町を支えている。
そんな五反田の町に昨年カウンター焼肉が加わった。名洋食店「スワチカ」の手前、古びたゲームセンターがあった土地に新しいビルが建ち、その1階に細長いL字カウンターの18席がしつらえられた。
店の名前は「塩焼肉あぐら」。昔、大阪にあった同名の焼肉店がのれんを畳む時、「いつかこの名前を使わせてほしい」と新店のオーナーが頭を下げて暖簾を継いだ。
店名は継いだが、レシピは残されていない。味はゼロから構築することになった。川崎の焼肉店などで修業を積んだ店長の森巧大さんが、ゲランド、マルドン、ヒマラヤ、モンゴルなど6種の塩を時にはブレンド、時には単体で使い分ける仕立てにした。肉の部位や状態によって塩の種類や当て方を使い分け、加えるにんにくや胡椒などの量も加減する。
肉は注文が入るまで筋を引かない状態で冷蔵庫で保管する。基本、切り置きはしない。筋膜や脂を外し、切り出したところから肉は酸化し劣化していく。注文ごとに冷蔵庫から塊を出して切り出し、筋や筋膜に包丁目を入れる。
「やっぱり切りたての肉に、一人前ずつ味を入れていく方がおいしいですから。そこはできるだけ守りたい」と森さんは言う。「とはいえ、ピーク時、タンのように多くの注文が入る肉を少し切っておくことはあります」と苦笑いする姿がチャーミング。
実は森さん、以前の企画「人気焼肉店が集結する”焼肉研究会”では何が議論されているか?」の現場にもいらした(最終ページの集合写真左上)。あの会にいた店主はそれぞれスタイルこそ違えど、非常に研究熱心だった。
例えば突き出しで供されるガリは塩焼肉にはない甘やかさを加え、肉の強い味わいを酢の酸味や生姜の辛味で切るような設計だ。
最近、関東でも見かけるようになったウルテはコリコリとした食感を残しながら、噛み切れる歯ごたえのいい加減に仕上げた。「スペイン料理のシェフから教わった」という干し貝柱と干し鮑、どんこなどの乾物を戻して凝縮させた調味料で和えた、他にはないメニューだ。
前菜のシグネチャー、塩ユッケはしば漬けが和えこまれている。カメノコやシンシンなどの細切り肉の心地いい弾力のなかに漬物のパリッとした食感が混じり、しその香りが獣肉の匂いを美しく包む。お腹が空くスターターだ。
早くも酒が進んでしまいそうな逸品でもあるが、本番はこの後だ。いよいよ塩焼肉ゾーンへ突入する。
まず注文したいのは焼き物のシグネチャーである「エンピツ」。本来はリブロース芯の脇にある円錐状の部位だが、この店ではさらに希少な「ヒレミミ」をエンピツとして出している。
「知り合いの和食店がヒレを取っていて、そこからヒレミミだけを分けてもらっているんです。格安とはいえ、ヒレなのでシグネチャーなのに原価割れっぽいんですよ。レア焼きをおすすめしています」
個人としてはよく焼き好きではあるものの、ヒレミミとなれば確かにレアがいい。両面をさっと炙って次々口に放り込む。柔らかく甘やかな和牛のヒレに少しの脂が乗っていて、焼肉適性120点満点!
そしてお楽しみはホルモン3種盛り。この日はガツ、竹炭をトッピングしたシマチョウ、そして煮込み用に仕入れていたというテール!(大好き)
「シマチョウにトッピングした竹炭はアルカリ性。脂の酸化を防ぐおまじないの意味も込めています。あ、これは前に焼肉研究会で炭火の講師としていらした廣備の本多太郎さんが仰っていたことの受け売りですけど(笑)」
シマチョウは脂が透き通るまでじっくり皮目(腸壁)側を炙り、水分がばっちり抜けて香ばしい焼色がついたら返して脂を温める。細かい切り込みの入ったガツは両面に適度に火を入れ、テールはじっくり表面から深めの焼きを入れる。
果たしてシマチョウはバリッと&クニュっとした食感の向こうから甘い脂の波が口内に寄せては返し、ガツはサクコリッとした食感が心地いい。そして噛むほど奥から旨味が溢れてくるテールの旨味たるや……。
なんという満足感……と思ったところで、脇を見ると仕事終わりと思しき男性が山盛りご飯を片手ににんにくたっぷりのロースを炙っては頬張っている。
ああ、美味しそう……。というわけでここでロース&ライスを発注!この店ではほとんどの肉は手切りだが、このロースだけは、リブロース芯をスライサーで切り出して一枚ずつにんにく塩ダレをまとわせている。
「スライスの厚さは夏は3.5mm、冬は4.0mmに設定しています。脂肪の溶けやすい夏場はやや厚めに、脂が強く感じられる冬場は少し薄めにスライスしています」
盛り付け美しく、焼いて美しく、白飯を巻いてなお美味い。もっちりした福島産コシヒカリが赤身の旨味をまとい、甘い脂で一粒一粒がやさしく剥がされていく。とろける肉の舌触りの向こうから僕らのライスが心を打つ。
食べていたら口がてらんとしてきたので、洗い流すべく素冷麺も発注する。麺を待つ間に、肉を炙り、ライスに巻いて、口に放り込む。たっぷりの脂もコシヒカリの粘りと弾力で適度にぬぐわれる。これを数度繰り返して、ライスと肉が底を突いた頃、素冷麺が差し出された。盛岡風の冷麺、しかもかん水入り。グッとした弾力があって香り豊か。最近もっとも愛するタイプの冷麺だ。
そういえば昨日食べたアキレス入りの煮込みや上レバー、ツラミ、ギアラも楽しい美味しさに満ちていたし、実はまだ黒タンや上ハラミ、カレーや和牛そぼろごはんは未体験ゾーン。未開の塩の地平はまだまだ広大だ。
味つけは「塩」なのに味の幅が広いから食べ飽きない。ボリューム満点なのに、想像以上にすっきりした食後感。塩なのに、いや塩だからこそ焼肉の旨さが後を引く。しかもラストオーダー23時30分とは、ワーカホリックの残業メシから2軒目使いにもうれしいスタイル。がっつりメシはもちろん、軽飲みや締めの一杯(酒)&一杯(丼)でも訪れられる。ああ、こんなカウンター焼肉が身近にある、五反田住まいの方が心から羨ましい。
文・写真:松浦達也