
この数年、東京の町焼肉が劇的に進化している。今回ご紹介するのは、創業1966年の老舗町焼肉「焼肉レストラン三宝苑」の新店として7月7日にオープンしたばかりの「焼肉三宝苑 中野店」です。
いま都内でもっとも焼肉が熱いエリアはどこか。中央・総武線と言い切っていいだろう。この連載でも高円寺や荻窪の気鋭店や吉祥寺の老舗を取り上げてきた。十年前には界隈にこれほど実力派が集結するエリアになるとは思いもしなかった。
令和7年7月7日、このエリアにまた新たな焼肉店が登場した。JR中央・総武線(&東京メトロ)の中野駅から酒場の喧騒あふれる、ふれあいロード(もしくは昭和新道)を北へ数分。
その喧騒を抜け、早稲田通り沿いに出ると「三宝苑」という大きな看板が光っている。確か以前も焼肉店だった物件だ。
「居抜きで入ったら、オープン日にいきなりエアコンが壊れちゃって」と苦笑いするのは店主の木村徹晧さん。少し前に掲載した「人気焼肉店が集結する“焼肉研究会”では、何が議論されているか?」にも参加していた焼肉第三世代の兄貴格であり、まさにいまの東京町焼肉シーンを体現する人でもある。
2016年、29歳のときに高円寺の『大一市場』内にあった父の韓国料理店(もともとは祖母のキムチ店)を継ぐ形で『焼肉 いっぽ』を開店。7年間営業した後、野方の『三宝苑』から事業承継の相談があり、大一市場の区画は実弟の舜徹さんに譲ることに。そこが『焼肉ホルモン ここち』の創業の地であり、現在は『焼肉ここち 市場店』となっている。
「大一市場のときからそうですが、僕この形のガスロースター、好きなんですよ。誰もが手軽においしく焼けるじゃないですか」
新店のメニューは野方本店を踏襲しつつ、ときどき新しいエッセンスを投入している。ファミリー客中心の野方店とは違って、酒飲みからじっくり焼きたい一人客まで幅広い客が想定できるからだ。
例えば、ウルテの湯引き(1,200円)も、最近は関東でもこのコリコリした食感を出す店が徐々に増えてはいる。しかしまだ少数だし味付けはポン酢かごま塩が定番。ところが中野店の新メニューでは万能ねぎを細かく刻んであたった「あたりねぎ」のごま塩ダレで和えている。
さらに酒飲みが泣いて喜びそうなのがこれ。
ツラミユッケ風(1,500円)だ。弾力の豊かなツラミに、ほの甘い芳香の奈良漬と長ねぎの小口切りが添えられている。これをざっと混ぜてひとつまみ。強い食感のツラミの細切りに奈良漬の楽しい食感ときどきわさびがとても合う。この2皿に、野方三宝苑人気No.1のまぜまぜナムルを投入する。ああ、これだけでお酒が進むこと請け合い。
そしてほどほどに腹が落ち着いたら、いよいよ焼肉へと展開したい。
まず三宝苑と言えば、何をさておいても三宝苑ロース(1,200円)。赤身の薄切り肉に焼肉ダレとたっぷりのおろししょうが。何皿食べても、するすると胃に落ちていく爽快な味わい。「焼肉は脂っこいからなあ」と敬遠するような人にぜひ召し上がっていただきたい。
ロースと来たら次はもちろんカルビでしょう!と勢い込んだら木村さんから一言耳打ちが。「カルビも野方とは少し変えています。本店の並カルビは肩芯ですが、中野のカルビはすべてリブロースです」。
なんですと!?
中野のメニューにおけるカルビ(1,500円)はリブロースの外側を覆うカブリから丁寧に切り出し、上カルビ(2,200円)はそのカブリからごくわずかしか取れないマキを削ぐ。そして特上カルビ(2,800円)は堂々の最上部位リブ芯から切り出す。同じ個体のリブロースから、並、上、特上と切りわけているという。
そして提供された一皿がこちら。普通のカルビがこんな佇まいなのだ。
そして中野店のみのメニューで、僕がどうしても食べたかったのが次の一皿。「千日和牛赤身(卵たれ付)」(3,800円)。和牛の味わいにはいろんな要素がある。でもやっぱり生産者農家が時間と手間をかけて長く飼った雌の和牛はなんとも言えないほど美味しいことが多い(単にスペックではなく、それほど丁寧に育てた牛が多いという意味でも)。
長期肥育の黒毛和牛はサシよりも赤身を含めた肉質全体の味わいが深みを増していく。「町焼肉」としては少し贅沢にも思えるメニューだが、焼肉には奮発のしどころというものがあるはず。
少し厚めに切られたこの一枚はロースターでまず片面に焼き目をつけ、もう片面を一瞬サッと炙ったら、特製の割り下入りの卵タレにたぷんとつけて、ライスの上へ!この一皿についてはゆめゆめライスの発注漏れのなきよう心がけたい。
三宝苑の焼肉は一人前あたりの肉量が焼肉店のスタンダードより約2割多い(2025年7月現在)。この日の肉は3皿だけでも300gオーバーで、すでに素晴らしく満足!なのだが、木村さんから「まだ食べられます?食べていってほしい中野店だけの新しい締めがあるんですよね」と言われたら、すぐさまお腹が空いてしまう。
「我ながら、いやしいなあ」と心の声が漏れる。口角が、すぐさま上がるのが恥ずかしい。しかし、差し出してもらった締めを口にして恥ずかしさも吹き飛んだ。
昆布水冷麺1,300円。真昆布、日高昆布、がごめ昆布という3種の昆布をふんだんに使い、麺は盛岡冷麺の製麺所から平打ち麺を直送してもらっているという。
実は僕自身は、昨今流行りの専門店の昆布水つけ麺は過度なとろみがあまり得意ではない。焼肉店でもライスとビールで腹を満たしてしまうのでこの麺はスルーしそうになっていた。ところが差し出された昆布水冷麺は、ほんのり麺に絡む程度の自然なとろみに上品な旨味が香り、平打ち麺の舌触りもつるりと心地いい。
しかも噛めば心地いい弾力に滑らかなコシがお出迎え。さほど力を入れずともスッと切れる麺の歯切れも快い。
官能的な口当たりのおかげで、加速する吸引力は当社比200%。一気に食べきりたくなるが、なんとかこらえて自家製の「青唐酢(青唐辛子の酢漬け)」での味変体験にたどり着く。やわらかで滋味深い味わいから、きりりと引き締まった風味へ。ああ、こらえてよかった。
中野の三宝苑では、確かにカウンターでの一人焼肉も楽しめる。だがこれほど多面的な魅力を放つ焼肉店での一人焼肉は後ろ髪が引かれすぎる。しかも初秋からは深夜営業も開始予定なのだとか(開始時期はInstagramにて告知予定)。次は誰かを誘って奥の4名席を陣取ろう。そしてそのときは、カルビ全種類と今日品切れだったテールも注文するのだ。
文・写真:松浦達也