戦後初の全量純米蔵の蔵元。カリスマ的な存在であった神亀酒造の先代・小川原良征さん(=センム)は、日本酒が国際的な食中酒となることを願いながら酒造りを続けてきた醸造家だった。 その遺志を継いだ8代目蔵元・小川原貴夫社長は、託されたものをさらに未来へと繋ぐために奮闘中だ。センムの願いを形にして世に出し、伝えること。次世代へと蔵を手渡すためにすべきこと。現蔵元の“今”の思いを語っていただいた。
師であり、父でもあった大きな存在を喪った直後から、貴夫さんは「記憶がないような感じ」という多忙な日々をおくってきた。4月の葬儀から間もなくして各地での田植えが始まる。酒米農家を訪問し、次期製造計画を立て、各地で開催される酒イベントに参加……とやらねばならない出来事がすぐに山積みとなり、土日のスケジュールはすべて埋まる。
「蔵元って、本当に仕事が多いなあ、と。センムはこんなこともやっていたのか、と思いましたね。センムは、素面(しらふ)の時に何か聞かれて答える、という人ではなかったんですよ。一緒に飲んでいる時にボソボソっと何か言うという感じの会話で。今になって考えてみると、センムが言っていたことって、自分で体験してみないとわからないことなんですよね。自分が蔵を継いで、そういう場面に出くわした時に、そういえばセンムはこういうこと言っていたよなというのがよみがえってくる。そういうことが多いですね。それだけ『自分で経験積めよ』ということだったかもしれないですね」。
センム亡きあとの初仕込みは、2017年10月から始まった。
「センムが蔵にいない。独特の感じでしたね。ただこの年は、今期も始めましょうという時に、蔵のみんなは、センムが亡くなったから、というのではなくて、とにかく前向きに酒造りに取り組んだ。そういう1年目だったような気がします。杜氏さんのほうがプレッシャーは大きかったと思いますけど、自分はもう、今年はお酒が出来てくれればそれでいい、くらいの気持ちだったんですよ。だから、最初の1本目が無事に出来あがって搾られた時、ああ、お酒できたなって思った時のことは、自分の頭の中の映像として今も残っているんですよね。ずっと心配していたけれど、みんなセンムの教えを受け継いでいるんだな、信頼して任せなければなと思いましたね」。
蔵元亡きあとは、酒の味が変わった、と世間からは言われがちだが、貴夫さんは動じなかった。
「いや、うちは生酒以外は、すぐには出荷しませんから。センムがいなくなった翌年も翌々年も、出荷していたお酒はセンムがいた時のお酒なんですよね(笑)。ひこ孫も大吟醸も7年くらい寝ていますから」。
先代から貴夫さんに託された大きな仕事のひとつは、センムがコツコツと貯蔵してきた大量の熟成酒の管理だ。
「センムは造るだけで満足しちゃうようなところがあって、『囲っておきたい』という気持ちが強くて、売ることはあんまり考えてない(笑)。冷蔵庫の中にもタンクの中にもお酒はめいっぱいあるんですよね。生前、『これが全部売れたらたいしたもんだよな』と本人もよく言っていて。でも、ものを造る人として、きちんと醸した純米酒をじっくり寝かせるんだ、日本酒が国際的な食中酒になるためには熟成は欠かせないんだ、という確信をセンムは持っていました。だから、そういうものを造るメーカーの意志として『良いものはやはり少しずつでも出していかないと』という考えは、ずっと自分の頭の片隅にありました。神亀の古酒というのはとても独特で、きれいな仕上がりで熟しているので、こういう熟成古酒もあるんだということをちゃんとした形で世の中に出していきたいという気持ちがありますね」。
2021年には、2008BYの氷温熟成の純米大吟醸を販売し、その価値を世に問うた。720mlで16,500円という価格は神亀酒造のラインナップの中ではひときわ高価な酒だが、大好評のうちに完売となった。
「うちの蔵は、醸造量のうち一割だけは生酒を造って、残り9割が火入れの熟成酒となります。こういうことはセンムが基盤を作ってくれていなかったら、自分には無理でしたね。普通は、造ったお酒はすぐに売ってお金に替えたい。社員のお給料やお米代やいろいろな支払いもありますからね。でもセンムが熟成酒を造るという線路を作ってくれていたので、自分は安心してその道を歩くことができ、次の世代へつなぐ希望が持てます。ここまでの貯蔵を同じ年数かけて一からやるということになったら、本当に大変なことだったと思います」。
神亀酒造の熟成酒の中には、昭和の時代からの大古酒も含まれる。その時点ですでに先代は熟成酒の魅力に気付いていたのだ。
「センムがやってきたことって、全部早いんですよね。時代がそのあとに、なんとかついてくるという形で。20年前にセンムと初めて出会った頃は、居酒屋で純米酒をお燗つけてくれと頼んでも、なかなか。純米酒は、冷やで飲むもんだよと言われていた。でも、今は、どこでも純米酒のお燗が飲める。20年かかって、やっとここまで来たかということだと思うんです。センムは時代を先取りしすぎちゃってた感はありますね」。
先取の気鋭と伝統技術への畏敬と。二つを共に持っていたセンムから蔵を託されて7年。精一杯の仕事を重ねている気持ちの中には、いずれ、より良い状態の蔵を次世代に手渡したいという願いも含まれている。センムに可愛がられていた貴夫さん夫婦の長男は、現在小学5年生となり、貴夫さんと共に酒米の田植えもこなすようになった。
「やっぱり親の背中を見せたいと思いますね。これからいろいろなことを一緒にやって、いろいろな人とも接してもらって。蔵を継ぐか継がないかというのは、彼次第だと思いますが、親はこういうことをしてたよな、という体験は必要ですよね。でも、いいことだけ見せようとは思わない、いいことも悪いこともちゃんと両方見せたいと思いますね。蔵元って、仕事としてはすごくいい仕事だと思うんです。それに、選ぼうったって選べない仕事ですからね」。
蔵元として生まれるのは、ある意味では宿命だ。だが、託された蔵を継ぐのは、自分の意志。その意志で蔵を背負った貴夫さんが発した「すごくいい仕事」という言葉をセンムに聞いてもらいたかった。いや、すでにそれは見通していたか。センムがいた頃も、姿が見えなくなってからも、貴夫さんはつねに笑顔だ。その強さをセンムは、たのもしく感じていたことだろうと思う。(了)
2年3カ月にわたる連載は、今回で終了となります。ご愛読どうもありがとうございました。
文:藤田千恵子 撮影:伊藤菜々子