神亀酒造の先代・小川原良征さん(=センム)が一貫して大切にし続けていたのが、酒造りの要となる丁寧な麹造りだった。その強い信念を酒造りの現場で具現化してきたのは、杜氏の太田茂典さんだ。センムが見届ける最後の酒造期、「麹を大切に」という強い願いは太田杜氏へと託される。限られた時間の中で、蔵元と杜氏とでかわされた対話はどのようなものだったのだろうか。
晩年のセンムが、以前にも増して繰り返し説いていたのは、麹の大切さだ。
「日本酒は、米と麹の酒」。それゆえに、業界内で麹造りの手間を省いたり、薬剤を用いた酒造りが増えていく傾向に対しては、日本酒の本質が失われていくのではと憂い、苛立っていた。「麹だけでも十分な甘さを醸し出せる」ことを知るセンムが、その実証として、太田さんに提案したのが甘口の酒を造ることだった。
「そう聞いた時は、おう、やりましょうよ! って感じ。自分は、何でも試してみたいので。センムは、あの頃、酵素剤の使用が増えてることを怒ってたので、麹の力だけでも十分甘い酒は造れるということを証明してみせたかったんでしょうね。甘酒4段の仕込みで、日本酒度がマイナス10度の甘口の酒を造りました」。それが2016年に発売された「スイート10」という名前の商品だ。この商品が発売されると「甘い酒が流行っているから、さすがの神亀酒造も甘口を」という見方をする人もいたが、センムと太田さんにとっての真意は、米と麹の力を実証するための新たな酒だった。
そんな2015醸造年度の酒が出荷された2016年の春。太田さんは、センムが膵臓がんであることと病状の厳しい見通しについて聞かされた。
「今から思えば……いつも背中が痛いと言っていたし、だけど休む暇もなかったし。センムが怒りっぽくなって、喧嘩していた頃も、もう病気に罹っていたのかな、と思うんですよね」と太田さんは振り返る。
手術を4月下旬に終えて、センムがまだ歩いて蔵に出入りすることができていた2016年の夏。太田さんが蔵内で蒸米用の和釜の“釜戸”(かまど)を直していると、そこにセンムがやってきた。
「なんだか嬉しそうに見てましたね。センムは、蒸しがすごく大切だということをわかっている人でしたからね。釜戸を手入れしてたのが嬉しかったのかなとか、そういうこと、思い出しますね」。
その年の醸造に入る前に、センムが太田さんに伝えたのは、麹造りの際の留意点だった。例年よりも種切り(※)時の温度を高めに設定するよう、センムは太田さんに頼んだという。病院から余命宣告を受けていたセンムは、その年の仕込みは、自分が見届ける最後の酒造りになるだろうと覚悟していた節がある。
この頃、センムからの聞き書きを続けていた筆者にも、「麹をしめる、ということが誤解されたまま伝わっているのではないか」と前置きして、「麹は生き物で、赤ん坊と同じ。最初のうちは水分も温度も十分に与える必要がある。最初から麹をしめすぎてしまうと、熟成しても味が乗らない酒になる」と語っていた。
酒造りの開始は、10月下旬。その年に使用する米と向き合うのは例年どおりのこと。その米の質とセンムの提案する方法が合っていたこともあり、太田さんは通年よりも2℃、あるいは3℃高めの温度の蒸し米へ麹菌を振ったという。
入退院を繰り返すセンムが自宅へと戻ると、太田さんは酒造りの様子を知らせるため、麹やもろみを持ってセンムのベッドまで通った。もろみが発酵を終え、搾った酒も利き酒してもらうためにすべて運ぶ。次々と運ばれてくる2016BYの新酒の味わいは、センムを大いに喜ばせた。すでに酒を飲むことは止めていたのに、利き酒をした酒の日本酒度や酸度は、ピタリ、ピタリと当てていくのが見事だった。
7号酵母使用の純米吟醸をセンムは「この白菊の香りがいい、7号吟醸の香りだ」と喜び、その年最後に搾った山田錦55%の酒を「いい酒だ」と絶賛し、「そのまま生酒で出せ」と指示した。杜氏と蔵人が気持ちを合わせて仕込んだ酒の出来にセンムは満足し、「太田が俺の言うとおりにしてくれた」と喜んだ。「その製麹のやり方が、その年の米の性質に合っていた、ということもあったんですけどね(笑)。でも、センムが喜んでくれていたことは、嬉しかったですね。これなら大丈夫だと思っていいだろうという感じで」。
無事に仕込みが一段落となった3月後半の甑倒しの宴では、センムも久しぶりの酒を口にし、「酒は、うめえなあ」としみじみと味わっていた。それから1ヶ月後。すべての作業を終えた皆造の報告に太田さんがセンムのベッドへと出向くと、センムは「ありがとな」と太田さんをねぎらった。大小の喧嘩を繰り返した仲だったが、最後に交わされたのは、ねぎらいと感謝の言葉だった。
※種切り
適温(30℃台)まで冷ました蒸し米に麹菌を振る作業。何度を適温と考えるかは、造り手の狙いによって異なる。
センムの逝去から7年。太田さんが自らの指揮で醸す酒には、何を求めるのだろうか。
「うちの酒、ゴク味とキレのある“神亀の味”です。そして、センムが常日頃から言っていた、熟成してさらに美味しくなる酒。そういう酒になっているかどうか。搾りたての酒を利いた時に、そこがずれていないかどうかは常に気にしています。毎年毎年、これなら、センムも文句はないだろうと」。
今は亡き人のことであっても、太田さんが話す言葉は、過去形ではなく、現在もいる人について語っているかのようだ。
「あ、それはね、センムは今も蔵のどこかにいる気がしますね。それで俺らを見ていて「ばーろー」とか言ってる気がします(笑)。存在感、強烈だったですからね」。
文:藤田千恵子 撮影:伊藤菜々子