2022年7月号の特集テーマは「アジア麺」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、自転車で台湾一周をした際に、基本的に薄味で柔らかすぎる麺料理にしか出会いませんでした。初めはそれに不満を抱きつつもだんだんとその魅力に気が付いたといいます――。
台湾には「麺線」という麺がある。
そうめんのような細い麺で、とろみのあるスープに入っている。非常にポピュラーな料理だ。台湾を初めて訪れたときもすぐ目に留まり、食べてみたのだが、店が悪かったのか旨いと思えなかった。麺がブヨブヨだし、スープも変に味が薄い。病人食でも食べているみたいだ。
そのあと自転車で台湾を一周し、この国の料理の味付けが軒並み薄いことを知った。関西出身で薄味好みの僕でも、台湾の味は「ちょっと薄すぎるような……」と感じることが少なくなかった。
それでも旅をしていれば舌が慣れる。いつしか台湾の薄味が心地よくなって、素材自体の味に意識が向くようになり、その旨さの引き出し方にシンパシーを覚えるようになった。
ただ、麺料理にはずっと釈然としないものを抱えていた。麺線だけでなく、どの麺もだいたい柔らかいのだ(店にもよるが)。のびている、と言ってもいい。
麺はスープほど重視されていないのかもしれないな、と思った。台湾を代表する麺料理「牛肉麺」も、スープを売りにしている店は多いが、麺をアピールしている店はあまり見なかった気がする。
そんな台湾を20日かけて一周し、台北にゴールしたあと、ある日、尋常ではない賑わいを見せる店が目に入った。外に設置された席にも座りきれず、何人かは路上で立って食べている。看板には《阿宗麺線》という文字。
「麺線か……」
さっきメシを食べたばかりで、腹は減っていなかった。しかし、この混雑ぶりだ。このまま立ち去るわけにもいかない。
カウンターで注文し、料理をその場で受け取るファストフード店形式のようだった。長い行列ができている。並んでみると、しかし思いほか時間はかからず、すぐに僕の番が来た。メニューは麺線の「大」と「小」だけだ。小は約150円、大は約180円。「小」を頼む。
目の前には寸胴鍋が見える。麺が最初からスープに入っていた。麺がのびるわけだ。ただ、そのおかげで手順は簡素化されている。お玉で麺ごとスープをすくって器に入れ、刻んだパクチーを散らして出来上がり。客の回転が速いはずだ。それを受け取り、ちょうど空いた席に座る。
顔を近づけると、パクチーの芳香に包まれた。麺のほかに豚のモツも入っている。箸はなく、使い捨てのプラスチック製レンゲが椀に刺さっていた。それでスープと麺をすくう。麺はプツプツ切れて短くなっているから簡単にレンゲにのる。スープと麺を一緒にすすると、あれ?この香り……鰹節じゃないか。
あとで調べてみると、やはり日本統治時代に工場がつくられ、台湾でも鰹節が生産されていたらしい。戦争が終わり、日本人が引き揚げてからも、鰹節は台湾に残ったということか。
すすっているうちに「これなら『大』にすればよかった」と悔やんだ。満腹なのにスルスル入る。麺はやはり柔らかいのだが、表面がなめらかで、舌の上を小気味よく滑っていく。
麺はスープのアクセントだったのか、とようやく納得した。麺が口内をつるつる滑っていくことによって、とろみのある鰹出汁スープの香りと旨さが一段と増す。味わうべきは麺とスープの“和”なのだ。新しい味の世界がまた開かれたようだった。
ふいに、あることに思い当たった。
味付けを薄くし、素材の旨味を引き出す、その和食にも通じる台湾の調理法には、もしかしたら、鰹節もいくらか関わっているんじゃないだろうか。鰹節の上品な香りと繊細な旨味を活かすために、どんどん薄味になっていった……。
さすがにちょっと無理があるかな、とも思ったし、それに日本統治の歴史を美化していると受け取られるのも困るので、その意図は一切含んでいないことははっきり断っておきたいのだが、ただ、鰹節の香りと台湾の上品な調理法が頭の中でつながったとき、融合して広がっていく文化のロマンといったものをそこはかとなく感じたのだった。
文・写真:石田ゆうすけ