旅行作家の石田ゆうすけさんは、シリアを旅行中とあるお菓子を売っている青年に出会いました。どこか頼りない雰囲気の彼が売っていた驚きのお菓子とは――。
シリアは2011年の「アラブの春」以来ずっと内戦状態が続いているが、僕が訪ねた頃は平和で治安もよく、自転車旅行になんの問題もないどころか、人々は信じられないくらい親切だった。とくに田舎ではほとんど毎日のように家に招かれ、食事をご馳走になったり、泊まっていけと勧められたりした。
そんなある日、砂漠地帯にガソリンスタンドがぽつんと現れた。休憩しようと自転車をとめ、隣の空き家の段差に座り、水を飲みながらクッキーをかじる。そこへ、痩せた兄ちゃんが遠慮がちに近づいてきた。駅弁売りのように首から発泡スチロールの箱をぶら下げている。八の字眉で、アラブ人にしては目が細く、垂れていて、泣いているような顔だ。彼はたどたどしい英語で、「どこから、来たんですか?」と言った。
問われるままに旅の話をしていると、彼は首から下げた箱の中から餅のようなものを取り出し、僕に手渡してきた。プレゼントだという。お言葉に甘えてかぶりついてみると、驚いた。牛皮のような生地にバニラアイスが入っている。大福に似た、あの日本のアイスにそっくりなのだ。
「旨い!」
兄ちゃんは垂れ目をますます細めて笑い、「サンキュー」と言った。それはこっちの台詞だよ、と僕は笑いながら、人のよさと気弱さが滲み出ている彼に対して、なんだか守ってあげたいような気持ちに勝手になっていた。
シリア版「雪見大福」は甘さが控えめで、生地も柔らかく、立ち売りの商品とは思えないほど洗練された味だった。さすがシリアだなと感心してしまう。
アラブ諸国では宗教上、飲酒が認められていないせいか、人々の嗜好が甘いものに向かっているような気配がある。町のあちこちに甘味処があり、髭を蓄えたおじさん集団が昼夜関係なく、アラブ伝統の砂糖菓子やショートケーキやシュークリームなどの洋菓子を食べているのだ。
どれもたいてい過剰に甘いのだが、それらほかのアラブ諸国の菓子と比べると、シリアの菓子は少し感じが違った。品のある甘さで、垢ぬけ、甘味がそれほど得意ではない僕の舌にも合う。餅に似た食感のものも多く、大福アイスはまさにシリアらしい菓子だと思えた。
2人で段差に座って話していると、1台の車が給油にやってきた。兄ちゃんは車に駆け寄り、箱のふたを開けて運転席の男に中身を見せ、懸命にしゃべっている。しかし、運転手は彼に背を向け、助手席の男と話をしていて、兄ちゃんのほうを見ようともしない。彼は車の脇に所在なく立ち尽くし、頼りなげな笑みを浮かべたまま固まってしまった。笑っているのか泣いているのかよくわからないその顔を見ていると、なんだか胸がつまった。
肩を落としてとぼとぼ戻ってきた兄ちゃんは、僕と目が合うなり決まりの悪い笑みを浮かべた。気の毒だけど、しかし彼は物売りという仕事に向いていないんじゃないか、と思った。大量に売れ残った大福アイスを前に、しょんぼりしている様子が浮かび、頭から離れなくなった。
「じゃあ俺は行くよ」
立ち上がると、兄ちゃんは握手を求めてきた。僕はその手を握りながら、神妙な思いで「がんばって」と心の中で声援を送った。
それから半日ほど走ると、再び砂漠にガソリンスタンドが現れた。自転車をとめ、クッキーをかじる。日没の時刻が近づき、灰色の雲に覆われた空が暗くなり始めていた。
目の前のガソリンスタンドに軽トラがとまった。助手席からひとりの男が飛び出してくる。
「ああっ!」
大福アイスの兄ちゃんだ。こっちに向かって子供のように手を振りながら走ってくる。心を許した友に思わぬところで再会したような、あふれんばかりの笑顔だった。昼間少し話をしただけなのに......。
僕は思わず立ち上がった。彼は目の前まで来ると再び握手を求めてきた。
僕はその手を握りながら「仕事は終わったの?」と聞いた。
「うん、今帰っているところなんだ」
ドライバーに相手にされず、情けない顔で車の脇に立ち尽くしていた彼の姿が脳裏に浮かんだ。
僕は人差し指を立てながら言った。
「アイスひとつくれる?今度は買わせてよ」
すると急に兄ちゃんは表情を曇らせたのだ。
「......ごめん......売り切れたんだ」
えっ!?と彼を見返した。雲間から夕陽が漏れ、砂漠を黄金色に染め始めた。その淡い光の中で、兄ちゃんは八の字眉の眉尻をさらに下げ、ひどく申し訳なさそうな顔をして立っているのだった。
「あは、いいんだ、いいんだよ」と僕は彼の肩を叩きながら言った。
「じゃあ次会ったときに1個頼むよ」
彼は再び旧友を見るような目をして、それから、にっこり笑ったのだった。
文・写真:石田ゆうすけ