2020年8月号の第一特集は「カレーとスパイス。」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、北インドを旅しました。田舎を主に回ったこともあり、そこまでおいしい料理に出会えなかったと言います。そんな中、感動するお店に出会いました――。
インドには「カレー」という概念がないから、食堂にも当然「カレー」という表記はない。壁にかけられたお品書きには「カリフラワー」「豆」「ジャガイモ」「キャベツ」と食材を表す文字が並んでいるだけだ(レストランなら料理名が書かれたメニューもあるが)。
インドの料理にはスパイスが多用される。どれもいわばカレー味になる。
日本人にはカレーに見えるインドの煮込み料理は、日本のいわゆる“ルウカレー”と比べるとサラサラしていて、コクがあまりない。旨味がないとぼやく旅行者も多い(日本にあるインド料理店のカレーとは全然違う)。
ただし、訪れる地域で印象は大きく変わるようだ。料理が旨いのは南インドだと聞いた。
南インドで料理修行をし、大阪の福島で「チョウク」という店を開いた友人がいるのだが、本場のレシピに忠実につくられた彼のミールス(南インドの料理で、乱暴に言えば野菜カレーセット)はたしかに中毒性を感じるほどのおいしさで、熱烈なファンが大勢いる。
僕が旅したのは北インドだった。
料理に対する旅人たちの評判は概ね芳しくない。僕の印象も同様で、北インドを旅した約1ヶ月のあいだ、体調を崩していた期間以外は毎日店でカレーを食べたのだが、その結果、「旨い」と「旨いとはいえない」の比率は2:8、いや、正直、1:9ぐらいだった。
もちろん、都市や観光地など人が集まるところでは競争が生まれるので、質の高い料理を出す店も多くある。そういう店でばかり食べていたら、「旨い」の割合も増えただろうが、僕の場合は自転車旅行だから訪れる場所のほとんどは田舎だ。田舎では熾烈な競争は生まれにくい。必要がなければあまりがんばらないのがインド人だ(僕の印象では)。たまに驚くようなカレーにも出合った。
ある村の食堂にはお品書きがなく、席に座ると自動的にスープのようなカレーと薄焼きパンのチャパティが出てきた。安食堂のチャパティがたいていそうであるように、このチャパティもボソボソしていて、味気ないこと紙を食べるがごとしという感じだったが、それにもましてカレーがすごかった。白湯か?と思うほど味も香りもきわめて薄いサラサラした汁に、溶けかかった玉ねぎの小さな切れ端が2、3入っているだけだ。具のない味噌汁といった雰囲気だが、旨味がほとんど感じられないので、お湯にスパイスと塩を入れただけでは?と本気で疑ってしまった。
ただ、田舎でも例外はあった。街道沿いの店だ。トラックドライバーを呼び込もうと各店がしのぎを削っている。
あるとき、店頭に鍋をいくつも並べた食堂があった。行ってみると、普通は壁にかけられているお品書きがない。
坊主頭のいかにも朴訥そうな店主に、「メニューはありませんか」と英語で訊いてみると、彼は困った顔をした。英語は通じないようだ。でも彼はこちらの意を解したようで、5つほど並んだ鍋の蓋を全部開けて中を見せてくれた。ありがたい。
鍋のひとつを指さし、「これは、なんですか」とゆっくり発音して訊いてみた。彼は何か言うのだが、今度は僕がわからない。彼は「待って」と手で僕を制し、その鍋のカレーをお玉ですくって皿に少し入れ、スプーンと一緒に手渡してくれた。「味見しなよ」ということらしい。インドでこんな好意を受けるなんて。感動すら覚えながら、ありがたく皿を受け取った。味見していると、彼はまた別の皿に別のカレーを入れた。慌てて「ノーノー」と言うと、彼は「いいからいいから」と微笑んでいる。そうやって彼は5つある鍋の中の料理をすべて皿にのせて出してくれたのだ。しかも味見というレベルではなく、ひと皿ずつ結構な量を盛ってくれたので、5つすべて食べたら、それで満足してしまった。
「じゃあ僕はこれで」と言って立ち去ろうとすると、彼はうしろ向きにスッテーン……という吉本新喜劇みたいなシーンが一瞬頭に浮かんだのだが、真面目そうな彼にそんなボケをかますことはできず、ナスとジャガイモのそれぞれのカレー(正確にはサブジという野菜の炒め煮)を頼んだ。
あらためて食べると、やっぱり料理は人を映す鏡なんだなとしみじみ思った。いかにも丁寧につくられたきめ細やかな味わいで、スパイスの香りが鮮やかに立っている。インドで食べたものを振り返ると真っ先に思い出す、1:9の1のほうのカレーだ。
文:石田ゆうすけ 写真:川原崎喜宣