静岡駅からほど近い繁華街。ここに、上質なオーセンティックバーの佇まいでいて、「カクテルとは?」「バーの領域とは?」を考えなおしてしまうようなバーがある。スピリッツ、ローカルフード、ペアリング、インフュージョン、ミクソロジー……様々な要素が絡み合う密林のようなバーを分け入る3つの愉しみ方を紹介しよう。
「仕込みの時間はどんどん伸びてますね。『美味しい』を追求していくと、ね」
「BAR NO’AGE(バー ノンエイジ)」のオーナーバーテンダー井谷匡伯さんは困ったように笑いながら言う。
ここは、静岡の繁華街。奇抜な設えや装いで珍しがられるバーではない。
むしろ店内は上質なオーセンティックバーの設えだし、白いバーコートをまとう井谷さんは穏やかな雰囲気の持ち主だ。それにこのバーでもっとも人気のあるカクテルは、不朽のスタンダードカクテル、ギムレットである。
だがその一方で、井谷さんのカクテル、いや井谷さんが創り出す世界観はかなりイノベーティブ(革新的)だ。
それは単なる思いつきではなく、井谷さんの考えや理論のもとに構築されている。
「最近、ただ注ぐだけのお酒を置くことを一切やめたんです。ビールもワインもシャンパンも。自分が“仕事をしている”という感覚がないとお金をいただけない、という気持ちがあるんです。ハイボールにしても、セオリー通りにつくるのではなく、チェイサーやペアリングで香りや味わいを開かせるようなひと工夫をしています。バーテンダーは『追求』の歩みをやめたらだめだと思うんです」
のっけから井谷さんの真摯な姿勢が見える言葉が語られる。
バーは2000年に創業。井谷さんは調理師専門学校の西洋料理課を修了し、フランス料理の料理人から飲食の世界へ入った。だがある時期、大好きな仕事が続けられないほどの手荒れに悩まされ、泣く泣くその道を断念。治療を続けながら、バーテンダーへと転身した。
そのため造詣の深さもさることながら、料理へ愛情はひと際深い。
「料理人と肩を並べたい、という気持ちが強いのかもしれまえん。料理人たちがすごく勉強をしているところを見て、バーテンダーとしてももっと極めなきゃ、と思うようになったんです」
「ノンエイジ」のことを、井谷さんの創りだす世界観を、どう伝えたらいいんだろう。
核となる3つの愉しみ方を紹介していこう。
まず1つ目は、カクテルと料理の「ペアリング」である。
正しいメニューで記すと、「遠州落花生のホームメイドスピリッツと掛川産深蒸し茶のカクテル」と「サンマのリエットと肝のバター 川根産青柚子の香り」のペアリングである。
文字だけでは、味もビジュアルも想像できない。
まずはカクテルから見ていこう。
あたりが、ふんわりお茶の青い香りで満ちてくる。バースプーンをかざす井谷さんは、さながら魔法使いのように見えてくる。
「静岡県西部ではかつて落花生の栽培が盛んだったのですが、つくる方が少なくなってしまいました。それを復活された方がつくるペーストをジンに漬け込んで、冷凍庫のなかで1ヶ月間ほど寝かせます。スピリッツに香りを注入する“インフュージョン”という手法です」
おもむろにカウンタ―に現れたのは、重そうなボンベ。なにごとか?
「液体窒素をシェイカーに注いで、スローイングするのです。氷を入れるとお酒が薄まってしまいますが、液体窒素だと窒素と液体が融合するようなイメージで仕上がるのです」
合わせる料理にも、聞けばめまいがするような手がかかっている。
土台になっているのがサンマの身のリエット。低温の真空調理でコンフィにした身を潰してペースト状にしている。
そしてその上に散りばめられているのが、サンマの肝のバター。塩漬けにしてアミノ酸を増やした肝をバターで炒め、それを冷やし、さらにミキサーにかけて裏ごししてある。
「はじめにカクテルのみを。次に料理をつまんで、最後はふたつを合わせて味わってみてください」
カクテルはお茶の心地よい渋味と苦味、落花生の芳醇なコクが広がる!リエットは旨味豊かな脂気、肝のバターからはそれに加えて軽い苦味も感じられる。
別々に食べてもそれぞれおいしい。口中でふたつを合わせてみると、どうだろう。苦味、軽い渋味が消え、クリーミーさが立体的に浮き上がってくるではないか。
たとえるなら、それはまるで関係のない2枚の絵を重ね合わせたら、これまで見えていなかった文様がくっきりと浮かび上がきた!というような驚きに似ている。
「マリアージュとは違います。これがペアリングなんです。苦味が相殺しあって、バターのクリーミーさがカクテルに移り込んで抹茶オレのような味わいに変化するでしょう?」
そう言って、井谷さんはにこにことほほ笑んでいる。
これは「ノンエイジ」のほんの一要素。
次は、カクテルそのものが料理のような「料理からインスピレーションを得たカクテル」を紹介していこう。
――つづく。
文:沼由美子 写真:鵜澤昭彦