知られざるバーへ。
「Bar大代園」杉山さんのこと。

「Bar大代園」杉山さんのこと。

故郷に帰る。一度、故郷を離れた者は漠然と考える。いつかはそういう日がくるかもしれないと。銀座で働いていたバーテンダーは地元の静岡に戻って自身の店を持った。そこまでの道のりは、もちろん平坦ではなかった。

バーテンダーの数だけ、バーテンダーになった理由がある。

静岡に行く。「Bar 大代園」を目指す。
何も知らずに看板を目にすれば、老舗のバーだと思うかもしれない。
やはり何も知らず、看板を見れば、主人の名を大代だと想像するだろう。
白地の看板に、黒字で流れるような筆致で「Bar大代園」。
漢字の屋号が、古くから営業している雰囲気を漂わせる。自身の名を冠するバーテンダーは少なくない(むしろ多いかも)。ここが大代という名のベテランバーテンダーが営むバーだと思っても、ちっとも不思議じゃない。
けれど、違う。

カンバン

地下へと続く階段を降りて、重い扉を開ける。
奥へと続くまっすぐなカウンター。酒瓶がずらりと並ぶ美しいバックバー。開店は2016年7月。古いどころか、新しい。
カウンターの中に立つバーテンダーの名は杉山大地。ベテランという風情ではない。30代。大代の響きはどこにもない。

「曾祖父がお茶の商いをしていたんです」
バーはお茶処で知られる静岡にある。杉山さんは静岡で生まれ育った。
「そのときの屋号が『大代園』でした」

かつて、杉山さんは東京は銀座で働いていた。雌伏の時。プロ野球選手が高校時代に野球部で鍛錬に励むように、バーテンダーも経験を積む期間がある。杉山さんは「Bar 三石」で修練を積んだ。
「厳しかったです。だからいまがあると思います」

銀座時代の杉山さんを目にしたことがある。師匠と客との間を、ちょうどいい距離感で立ち振る舞う姿を憶えている。静岡でバーを開くという葉書を受け取ったとき、甲子園で活躍した高校球児がプロに入るような不思議な気分だった。

「Bar大代園」のカウンターを挟んで話をすると、そこには知らない杉山さんがいた。
もともと、ほとんど酒が飲めなかったのにバーテンダーの世界に入ったこと。大学では土木を専攻していたこと(理系のバーテンダーである)。銀座のバーにコンプレックスを抱いていたこと。チャラいと愚直の中間の人間であると思っていること。故郷の静岡で35歳までに自分の店を開くことを目標にやってきたこと。屋号を冠してから茶道に興味を持ち始めたこと。

カクテル

バーテンダーと話すたびに思う。バーテンダーの数だけ、バーテンダーになった理由がある。
杉山さんは就職を控えた大学4年のとき、ゼネコンに内定が決まりかけていた。それが、大きな怪我をして入院することになって先が見えなくなった。当時、アルバイトをしていた埼玉県川越にあるビアバー「Beer Sauras」の社長に、卒業後も働きたいと願い出ると正社員として誘われ、この道を歩き始めた。
楽しかったけれど、迷いもあったという。「あの頃は銀座に行くとショックを受けていました」と笑う。職業はバーテンダーだと思っているけれど、バーテンダーだと名乗ることにためらいがあったと、杉山さんは話す。

カクテル

「20代が終わろうとして、将来が怖くなってきたんです。仕事では責任のある立場にもなってきて、やり甲斐はある。けど、技術ということに関しては、まだまだ。バーテンダーとして挑戦するなら年齢的にもぎりぎりだと思って」
29歳からの6年間を、杉山さんは「Bar 三石」で過ごす。 「バーテンダーとしての道筋をつくってもらいました」と杉山さんが話すように、師匠からの言葉は「将来のイメージを具体的に描いて働きなさい」。いつか地元の静岡でバーを開きたいと考えていた杉山さんは、「いつかでは物事は実現しない」と諭された。そのとき初めて、35歳という区切りを決めた。
「箔を付けるより、動いてみようと決心したんです。35歳だったら失敗しても取り返せるという思いもありました」

カクテル

そもそも、杉山さんがバーテンダーとして生きていこうと決めたのは、いつ?
「ある日、突然なんです」と、杉山さんは笑う。もともと酒好きというわけでもなかった。カクテルを飲んでも、ただ酔うだけで、その美味しさがわからなかった。あるとき、フルーツカクテルを口にした瞬間、あぁ美味しいと思ったという。果実味がふわっと香り、すーっと喉を過ぎていく。
「単純ですけど、こういうカクテルをつくりたいと思ったんです」
つくれるようになりましたか?
「いやぁ」と、杉山さんは言った後に、きっぱり。
「口に入れるものをお出しするのに、自信がないというのは駄目だと思います」

カクテル

2020年の7月で「Bar大代園」は5年目に突入する。目標は、これまでと同じく、これからも正直にやっていくことだと、杉山さんは話す。
「バーテンダーは対面でお客さまと接する仕事なので、こちらに嘘があったり、誤魔化しがあったりすると、見抜かれてしまいます。その逆もあって、お客さまが差し出したお酒に満足しているときと、そうでないときはこちらに伝わります。そこがバーテンダーという仕事の面白さであって、難しさでもあります」
そう言った杉山さんに、かっこいいですねと言葉を返すと「師匠の教えなんですけどね」と、笑った。
嘘も誤魔化しもない、杉山さんであった。

店舗情報店舗情報

大代園
  • 【住所】静岡県静岡市葵区呉服町2-9-1 玄南偕楽ビル 地下1階
  • 【電話番号】054-273-7676
  • 【営業時間】18:00〜翌2:00
  • 【定休日】日曜
  • 【アクセス】JR「静岡駅」より7分

文:エベ ターク・ヤン 写真:小原孝博

エベターク・ヤン

エベターク・ヤン (編集者)

江部拓弥と同一人物であると思われる。『牯嶺街少年殺人事件』のエドワード・ヤン監督と名前が似ているが、まったく関係ない。