東から昇ったおひさまが西に沈んで、夜の帳が下りた。ラーメン環境会議を終えて、再び、思い出横丁へ。30代のときに訪れた喫茶店へと向かう。五十路になったいま、違った景色が見えるかな。
CO2削減のために、己の呼吸数を減らしているラーメン店の店主がいるらしい、と聞いて、あはは、なんじゃそら、食べにいこう、ネタ的に、と行ってみると、いろいろ話は違ったが、店主の経歴はおもしろかったし、ラーメンもきわめて上質だった。満足して店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
「岐阜屋」に戻り、今朝はいなかった店長に会って掲載の許可をいただき、その後再び「思い出横丁」を散策した。午後5時。人出はまだまだだが、暗がりに赤ちょうちんが並ぶ光景は昔とそう変わらないんだろうなと思った。
「但馬屋珈琲店」に寄った。
昼に入った喫茶店とは好対照だ。どちらも新宿の“昭和喫茶”だが、あちらは新宿の外れの、下町風情が漂う界隈に立っていて、サイフォンで淹れてくれるコーヒーは1杯350円。こちらの「但馬屋」は、新宿駅前の繁華街の入口にあり、コーヒー1杯が750円だ。ただし、自家焙煎の新鮮な豆を使い、一杯ずつネルで淹れてくれる。香りもコクも並の喫茶店とはまるで違う。そのうえ、客の雰囲気に合わせたカップで提供するという心憎い演出があるのだ。自分が客観的にどう見られているのかが垣間見えておもしろい。
この店には15、6年前に一度入ったことがあった。長い海外放浪生活を終えて、東京に住み始めた頃だ。
当時の僕はヒッピー崩れのような、怪しくむさくるしい雰囲気だったと思う。そんな僕に出されたカップは、渦巻き模様がたくさん入った、バカボンの着物のような、滑稽なやつだった。嬉しかったので、いまでもはっきりと覚えている。
それから時が流れ、怪しい青年が怪しいオッサンになった。いまはどんなカップで出されるのだろう。
立派な梁がむき出しになった大正ロマン香る店内に座ってグアテマラのストレートコーヒーを頼む。どんなカップでくるのか、なんとなくワクワクしながら待った。ささやかな演出だけれど、楽しい。
運ばれてきたのは、ちょっと予想外のカップだった。
白地にゴールドの縁取りに、蔦に花、いかにもウェッジウッドらしい、エレガントなカップだ。ほほう、俺も年を重ねて、バカボンからガクトかヨシキくらいになったか――と一瞬喜んだのだが、そのカップから香り高いコーヒーを飲んでいるうちに、少し鼻白んできた。
前回はおそらく、店の人が僕を見て、わざわざ“バカボンカップ”を選んでくれたのだ。でも今回のウェッジウッドは、無難だった。よくあるタイプだ。客ごとにカップの区分けがあるとしたら、これは「大勢」という枠に入っていそうだ。
誰からも愛される作品を望むあまり、可もなく不可もない文章になっていないか。たびたびそう自問しながら、原稿を書いている。あるいは生きている。バランスのいい、クセのない人間なんて、つまらないではないか。呼吸数を減らすようなバカさ加減は、いつまでも残したい。
お勘定の後、外に出た。入口の脇のガラスケースに食品サンプルが入っている。
ん?と目が留まった。「はじかみ(生姜)プリン」?
クラシカルな店なのに結構攻めているなあ。
「珈琲ぜんざい」というのもあった。
写真に撮っていると、店長が出てきた。やべ。最初に取材をお願いしたとき、あまりいい顔をされなかったのだ(何度も断っておくが、突撃取材しているこっちが悪い)。何か注意されるのかな。
店長は「変わってるでしょ、生姜プリン。結構人気なんですよ」と微笑んだ。あれ?こんなやさしい顔されるんだ。
僕は素直に「意外でした。但馬屋さんにこういうのもあるんですね」と言うと、店長は再び相好を崩した。
「よそと同じメニューを出しても仕方ないですからね」
「そうですよね」と僕は同調し、しばらく立ち話をした。
それから店の前に停めた自転車の鍵を外した。
「全国の喫茶店をまわっているんですか?」
あれ?そんな風に見えるんだ。
「いえいえ、東京だけです。都内の昭和風情の店を自転車で探し回っているんです」
そう答えた後、店長に礼を言って、自転車にまたがり、地面を蹴った。光の群れが動きだす。
ふふ、まだフツーのオッサンにはなりきれていないのかな……。
足の回転に合わせ、ペダルがどんどん軽くなっていく。光の洪水がスピードを上げ、後ろへ後ろへ飛ぶように流れていった。
ーーつづく。
文・写真:石田ゆうすけ