2020年になって初めての「麺店ポタリング紀行」。お久しぶりね。そう小柳ルミ子さんに言ってもらいたいものです。あれから3ヶ月が経ちました。少しは大人になったかといえば、いえいえ、自転車に乗ってあっちをふらふらこっちをぶらぶらしながら、新宿を目指します。
自然派生活、というテーマをある雑誌で書くことになり、いろんな方にインタビューしたのだが、取材先に向かう途上、エコとはなんぞや、みたいな話を編集者Yと交わした。
「個人ができるCO2削減策で最も有効なのは子どもをつくらないことらしいですよ」
「つきつめれば、地球のために俺は死ぬ、ってところまでいきますよね」
「そういえば新宿のラーメン屋におもしろい張り紙があったなあ。地球と体にやさしいラーメンを目指し、店主は呼吸回数を減らしてCO2削減に取り組んでいるって」
「ぶはははっ!」
僕はひきつけを起こすくらい笑った。
「マジっすか?それマジっすか?」
「ほんとほんと。でもここのラーメンがやっぱり“無化調”だったりして、それでもめちゃ旨かったんですよ」
気になる!異様に意識高いラーメン!
その数日後、新宿の「思い出横丁」の前を通りがかったとき、「岐阜屋」が目に入った。戦後闇市時代からの店だ。このシリーズ「麺店ポタリング紀行」が始まった際、編集長のエベが候補に挙げたのだが、「『岐阜屋』はメジャーすぎませんか?」と僕のほうで渋った。隠れた名店を探したかったのだ。
その「岐阜屋」の前を通ると、ガラス戸越しに壁のお品書きが見える。新宿駅前のこの一等地でラーメンはいくらなんだろう、と探してみると、エッ?と二度見した。
《ラーメン430円》
これまでで一番安いじゃん!
高級食材を使ったセレブなラーメンもいいけれど、庶民が気軽に食べられる一杯こそラーメンだろう、とラーメンに関しては保守で意識の低い自分だ。1杯430円。この値段を新宿駅前で続けているところが粋じゃないか。
ようし、いいことを思いついた。CO2削減店主のつくる意識高い系ラーメンVS昔ながらの庶民派ラーメン、名付けて新旧新宿対決、略して新新対決だ!って略さなくてもいいいか。
早速翌朝、阿佐ヶ谷の自宅を出発、例によって未知の道を選んで入っていくと、すぐに“お宝”を見つけた。
ブロック塀に風景画が描かれている。油絵かアクリル画か。絵は5つ並んでいた。町を彩ろうという社会への意識もあったのだろうか。阿佐ヶ谷のバンクシーはうしろの熟成アパートに住んでいるのだろうか。
さらに少し走ると、再びブレーキに指がかかった。飾り窓におもしろいものがはめられている。
ユーモアはゆとりだな、と思う。見ているこっちものんきな気持ちになってくる。阿佐ヶ谷が好きなのはこの空気のせいもあるのだ。
さらに少し走って、またブレーキをかける。ジブリ映画に出てきそうな家だ。前回のポタリングではたまたま「トトロの家」に行き着いたが、それがなかったら「この家が『トトロの家』じゃないの?」と思ったかもしれない。
どの角度から撮るのが効果的か考え、露出を変えながら何枚も撮る。時計を見ると10時半だ。慌てて走り出す。いつもこうだ。自分の住む町で時間を食ってしまう。
新宿の「思い出横丁」はいまではもう大観光地だ。昼になると客が増えておそらく取材どころじゃない。急がねば。
隣町の高円寺に入ると、思わず自転車を停めた。家の中はどうなっているんだろう?
「ええい、もういいって!」
ダメだ。ほんとに急がねば。ポタリングは新宿でやろう。“お宝”探しの小路散策をやめて、大通りに出、車と競争するようにぶっ飛ばした。
20分ほどで新宿に到着。「思い出横丁」はまだ人が少なかった。
「岐阜屋」に直行する。
ガラス戸からのぞいてみると、客はまばらだ。ホッとしつつ入店し、ノーアポを詫びながら、取材させてもらえないか訊いてみた。厨房のおじさんは「いま店長がいないからねえ。夕方には来るんだけど」と言う。それなら夕方にもう一度来て伺いを立てるので、とりあえずいまは撮影だけさせてもらえませんか、と恐縮しつつ重ねてお願いすると、「いいよ」と答えてくれた。
ラーメン430円を注文する。
お、平ザルだ。いまどきのラーメン店が使う筒形のテボより、こっちのほうがいいのだ。大量の湯に麺を泳がせて打ち粉を払え、湯切りもしっかりできる。味にキレのある澄んだ麺になる。
反面、ゆでた麺を全部あげてからでないと、次の麺が投入できないので作業効率は落ちる。それなのに新宿駅前の人気店で使っているなんて。430円でラーメンを出す、そんな“粋”を貫く店なのだ、やっぱり。
さあ、どんな一杯がくるんだろう。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ