「平和軒」の創業は昭和2年。平和じゃなかった時代も生き抜きながら、現在は三代目が店を切り回す。店内には穏やかで、やさしい空気が流れる。飾り気のないラーメンに心が和む。この一杯があれば、世界は大丈夫。そんな気がした。
品川区の大崎を目指して走っている。
道中の“お宝”探しは、風任せだが、最終目標である昭和な麺店は、いちおうネットで、大崎周辺に絞って、探しておいた。夕方から別の取材がその近くで入っており、時間に制限があったからだ。
あともうひとつ、大崎を候補地に挙げた理由は、戸越銀座にずっと行ってみたかったからだった。東京で最も長い商店街らしい。
前回の「世田谷代官屋敷」から、またコンパスを頼りに南東を目指し、小路を当てずっぽうで入っていく。30分ほどで、武蔵小山駅が見えた。
南東にのびる道路と並行にアーケードが続いている。えらく長い。道路から逸れ、アーケードの中に入ってみると、驚いた。
もしかしたら日本一長いアーケードじゃないの?
これほどのスケール感はちょっと見たことがない。帰宅後に調べたら、正解。“単一の”という条件が付くけれど、長さ800mは日本最長らしい(ちなみにアーケードの“総延長”だと大阪の天神橋、香川の高松、長崎の佐世保が最長だとか。いずれも条件付きの日本一)。
アーケードが終わると、その延長線上に、今度は東京一長い商店街「戸越銀座」が現れた。
大きな商店街だけに下町風情が色濃く漂っているのかと思っていたら、チェーン店が多く、通り全体もいやにこぎれいだ。ちょっと観光地っぽいかな。
脇道に入ればこういうのもあったけれど。
戸越銀座界隈で昭和な麺店があれば、と思っていたが、気になる店は見つからなかった。
じゃあ、やっぱりあそこに行こうか。出発前に見当をつけておいた「平和軒」だ。
地図を見て、大通りに出ると、大崎駅方面へとペダルを回した。
駅の手前で右折し、少し走ると、ん、あれかな?と思うものが目に入った。
階段の向こうに暖簾のかかった店が見える。モータリゼーションをはなから無視した立地だ(裏手からは車でのアクセスも可能だけれど、道が細い!)。
自転車を担ぎ、階段を上る。
引き戸を引くと、小さなテーブルふたつ。先客で埋まっている。奥の小上がりに行くと、民家の一室のような空間だ。そこにも先客がいたが、空いている卓についた。
髪に白いものが混じった店主がひとりでやっているようで、できた料理を自ら運んでいる。
「お待たせしました。遅くなって申し訳ございません。お熱いのでお気を付けください」
忙しそうなのに全員に声をかけている。なんと折り目正しい接客だろう。
ラーメンと半炒飯を頼んだ。
しばらくしてお盆にそれらをのせて店主が運んできたときも、遅くなったことへの詫びと熱さへの注意喚起をしてくれた。常連だけでなく、僕のような一見客にも言ってくれるんだ。
ラーメンと炒飯の同時提供にも感動した。時間差でくる店が多いんだよな。
スープを飲むと、ああ、と体の底からため息が出た。これなんだよなあ。きれいな味だ。磨かれ、澄みきって、旨味だけが残っている。僕がこうした昭和な店が好きなのは、懐古趣味だけでは全然ないのだ。最近のラーメンのスープは複雑さや“厚み”が是とされているけれど、疲れるんだよ、あれは。淡麗系でも。毎日は食えない。立地がいいとは言えない場所で、何十年も残っている店は、やはり近所の人たちが通い続けるだけの理由がある。
麺をすすると、きれいなスープをたっぷり吸ったもちもちの麺が、口内で踊ってしぶきをあげた。ああ、これだよ、この一体感だよ。麺もスープも、それぞれは主張せず控えめだ。でも麺とスープの調和に、強い美意識を感じる。味に出るんだな。人柄が。細かなところまで行き届いている。
炒飯も甘味が出るまで玉ねぎがよく炒められ、やはり丁寧さが感じられる味わいだった。
食べ終えた後、店主に話を聞いた。麺は自家製で、打ったあと2、3日ねかせるらしい。
スープは思った通り、鶏と豚だけだそうだ。食材を増やせば複雑さは出るけれど、それを厚みととるか、濁りととるか。
「もしかして香味油は使ってませんか?」と訊くと、店主は首をゆっくり横に振り、「ええ、使いません」と矜持を感じさせる微笑を浮かべた。あのきれいな味は、やっぱりそれだったんだ。
いまでこそラーメンに香味油は当たり前のように使われるけれど、何か本質的じゃない気がする。実際、味に出る。装飾的だなと僕は感じてしまう(これを書くにあたって友人である老舗ラーメン店の三代目に聞いてみたが、彼もやはり香味油は邪道と考えているようだった。この原稿を読んでもらったら、「本質的じゃなく装飾的」という表現にえらく共感し、笑っていた)
もっとも、結局は好みだから、是も非もない。僕は「平和軒」の味が好き。それだけのことだ。ただ、こういう店や味がどんどん減っていく現状は、どうも寂しい。飾りたてた複雑な味もいいけれど、こういう味の澄んだ、体に染みるスープの価値も、もっと認められ、広がっていいと思うんだよな。
店を出るときも、店主は「お忘れ物はございませんか」と全員にかける言葉を、やっぱり僕にもかけてくれ、「ありがとうございました」と頭を下げた。僕もお礼を口にし、頭を下げた。
大崎を出ると、隣の品川を目指した。次の取材までまだ少し時間がある。東海道五十三次の第一宿で、岡場所(私娼地)もあった「品川宿」のあたりを散策しよう。遊郭は無理でも、赤線時代の名残なら何かあるかもしれない。
「品川宿」といえば名画『幕末太陽傳』だ。巨大な妓楼のセットがとにかく見事で、脳裏に焼き付いている。そのシーンを思い返しながら、匂う小路を入っていくと、うわ!と電気ショックが走った。
品川駅やその周辺は完璧に開発されているため、電車に乗っているだけだと近代的な印象しか受けないが、「品川宿」のあった北品川周辺を散策してみると、古い情緒がたくさん残っているのだ。
ペダルを踏めば、こんな“お宝”がザックザク出てくるのだ。さっきのラーメンに続いて、僕はまたしても夢中になった。何かに憑かれたように片っ端から路地を攻め、人に話を聞いた。エレファントカシマシの歌のフレーズ――歩くのはいいぜ。明日もあさってもまた出かけよう――が頭のなかでずっと流れていて、なんだか体が熱くなって仕方がないのだった。
ということで、『麺店ポタリング紀行』のアップはこれで終わるが、このシリーズが始まったころはまさか世界がいまのような形になるとは夢にも思わなかった。無邪気に走りまわっていた日々がすでに懐かしい。
やすやすと出かけられない状況がしばらく続くかもしれないけれど、いつの日か必ず、人々が笑って集まれる日が来るはず。そのときはまた、たくさんの景色と人に会いに、元気よく町に出かけようと思う。
文・写真:石田ゆうすけ