麺店ポタリング紀行
ラーメンは地球を救う?

ラーメンは地球を救う?

この日の目的地は「しろ八」だった。寄り道を繰り返していると、陽も傾きかけてきて、たのもーと訪れれば店主は不在。環境問題について議論を交わすことが叶わず、出直すハメになったのです。

移転前、移転後。

新宿でストレートコーヒーを税込み350円で出している“昭和喫茶”を出ると、夕暮れの気配が町を覆っていた。例の店、「しろ八」に向かう。ラーメンを税込み430円で出している「岐阜屋」や、先ほどの昭和喫茶とは、おそらく対極にある、異様に意識の高い、たぶん最先端の店だ。「地球と体にやさしいラーメン」を標榜し、CO2削減のために店主は己の呼吸回数を減らしているらしい。
古い建物がぽつぽつ残る新宿1丁目にその店はあり、実はポタリング中に何度も目にしていたのだ。

外観
午後4時、夕飯前のひととき。さすが“意識高い”系、いろいろ書かれた看板が立っています。
張り紙
“無化調”や有機野菜もいいけれど、「半スー麺」が画期的だなぁ。スープにコストがかかっているんでしょうね。

店内に入る。午後4時という時間だけに客はいなかった。
カウンターの中には見事なドレッドヘアの男性がいた。なるほど、自然志向のラスタだから、環境のために呼吸回数を減らしているのか。
企画趣旨を話し、取材させてもらえないか訊いてみた。
「店長はいまいないんですよ。5時に来ます」
あれ?彼じゃなかったの?

店内
座席はカウンターのみですが、ゆったりした清潔な店内で落ち着けます。

とりあえず、ラスタ氏に許可をもらい、撮影と実食をさせてもらうことにした。
店の看板商品らしき「追鰹醤油らーめん」を頼む。

ファイルの中身
メニュー立てには、月替わりのトッピング野菜の情報を綴じた分厚いファイルが。

ラスタ氏がラーメンをつくっている間、こっそり店内を見回したが、探しものは見つからなかった。ちょっと躊躇したが、思い切って訊いてみた。
「あの、呼吸を減らすって貼り紙、ないんですか?」
この店を僕に教えてくれた編集者Yはその貼り紙を見て大ウケしたと言っていたのだ。
ラスタ氏はあっはっは、と笑って、「ここは10年ぐらい前に移転してきたんですけど、前の店にはその貼り紙があったらしいですね」と言う。うーん、残念。
「じゃあ店主は呼吸を減らすのもやめたんですか?」
「いや、やってますよ」
マ、マジか!本気だったのか!
貼り紙によると、店主は1分間に18回だった呼吸を16回に減らしたらしい。それで得られるCO2削減分と、ラーメンのスープを何時間も焚いているあいだに排出されるCO2はどっちが多いんだろう?
などと考えていると、ラーメンが出てきた。

噂は本当なのか?

追鰹醤油らーめん
追鰹醤油らーめん750円(税込です)。有機栽培の小松菜が生で入っています。

食べてみると、あれっ?と意外に感じた。
編集者Yは「でもラーメンはめっちゃ旨かったんですよ」と言っていたが、正直、あまり期待していなかった。なにしろ呼吸を減らしてCO2削減である。客観性がなさすぎるではないか。独善はものづくりにとって、たいていは害だ。
ところが、スープを口に含むと、鶏や豚の旨味、野菜の甘味がグラデーションのように広がっていき、嚥下した後、もうひと押し、鰹節がふわあっと香る。柚子も光る。“無化調”らしくすっきりしているが、物足りなさはなく、旨味と芳香が重層的に膨れあがるのだ。繊細なスープに合わせて、麺もやさしいタイプだったが、程よい弾力を最後まで保って、唇や舌の上をちゅるちゅると滑っていった。いやはや、よく計算されている。実にバランスがいい(なんかエラそうだけれど、素直な感想)。

メニュー
スープを味わった後で、濃淡の調整をしてもらえるというのはとても画期的じゃないでしょうか!

淡麗かコッテリかに関わらず、“一発当てたろ感”のある押しの強い最近のラーメンが僕は苦手なのだが、それは食べていて疲れるからだ。昔ながらの中華そばは、ホッとする。毎日でも食べることができる。
「しろ八」のラーメンは、コンセプトは野心的だが、呼吸数を減らすようなヘンタイ氏(失礼!)がつくっているわりには、ラーメン自体にはうるさい主張がなく、体に負荷なく入ってくるきれいな味だった。
スープを最後まで飲み干し、お会計をしていったん店を出た。

夕暮れどきの新宿をのんびり自転車散歩した後、17時過ぎに再び「しろ八」に行くと、カウンターの中は別の人に替わっていた。店主のようだ。ラスタ氏から聞いていたらしく、すぐに掲載をOKしてくれた。
僕はずばり聞いてみた。
「ほんとに呼吸回数を減らしているんですか?」
「あはは、まさか。冗談ですよ」
「は?」
「ネタに決まっているじゃないですか~」
店主は快活に笑っている。
だよなあ。あのラーメンの味だもん。やれやれ、ラスタ氏にいっぱい食わされた。

芳賀八城さん
店主の芳賀八城さん。イタリアとパリで計5年暮らし、ラーメンとは関係ない著書も2冊出しているという。

でも環境問題に関心があるのは本当らしい。
「2005年に店を始めたとき、割り箸は置きませんでした。当時はまだそういう店は少なかったんじゃないかな。お客さんに理解してもらうのもひと苦労でしたね。『塗り箸じゃ食えねえ』って出ていった人もいました。貼り紙?ああ、呼吸の数の。ええ、移転前の店には貼っていました。ネタですけど、啓蒙活動の意味も実はあったんです。環境に興味を持ってもらえたらと思って。でも常連客みんなから突っ込まれましたね。ネタ的にはかなりウケました(笑)」
やっぱりこの店主も相当な食わせものだ。もともとカメラマン兼ライターだと聞いて、ああ、と妙に納得がいった。
ラーメンの修業は3店舗でやり、自分のラーメンを追い求めたらしい。
「独立してからもずっと模索が続いて、開店して5~6年後にようやくできてきたかな、って感じですね。でも完成はありません。常に探求です」
軽妙なユーモアと、真摯な姿勢。バランスがいいわけだ。おかげで旨いラーメンが食べられたのはよかったけど……実をいえば、本気で呼吸回数を減らしている真のヘンタイがつくったラーメンも食べてみたかったんだよなぁ。ネタ的に……。

――つづく。

店舗情報店舗情報

しろ八
  • 【住所】東京都新宿区新宿1‐12‐1 サンサーラ第三御苑101
  • 【電話番号】03‐3341‐0207
  • 【営業時間】11:30~21:00、土曜は~17:00
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「新宿御苑前駅」より1分

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。