麺店ポタリング紀行
ガイドブックに載ってない東京名所。

ガイドブックに載ってない東京名所。

毎度、驚く。東京を自転車を走っていると、突然、姿を現す東京の名所旧跡に。風光明媚である。唯一無二である。それなのに、不知案内である。そこには行列もなければ、密集もない。東京の底力って、こういうことなのかもね。

どんな人が住んでいるのかな。

久しぶりのポタリングだ。
前回、新宿を走ったのが12月の初めだから、3ヶ月以上空いたことになる。
「忙しい」を理由にする人は仕事のできない人、といったキャッチコピーを、自己啓発本なんかの広告でよく見かけるから(その手の本は読まないからよくは知らないけれど)、僕はそんな言いわけはしないが、でも実はこのところすごく忙しかった。たぶん、誰よりも忙しかった。最近テレビで見ない日はない岡田晴恵さん並みに忙しかった。仕事のできない人間は、誇張もよくやるのだ。
岡田さんといえば、そう、コロナ問題。ポタリングを休んでいたこの3ヶ月で世界は激変した。
必要以上に怖がるのもどうかと思うが、あんな得体の知れないものはもらわないに越したことはない。僕は幸いフリーランスで、基本、自宅勤務だ。満員電車には乗ることはほぼないし、いま取材や打ち合わせには自転車で行っている。

スマホ不所持者のナビ。ハンドル部に装着したバッグ上部の地図ケースの上に、両面テープでコンパスを接着。

満員電車のリスクを避けるために、時差出勤やテレワークを国や企業は奨励しているけれど、これを機に、どうしても出勤しなければならない人には自転車通勤も推奨すればいいのだ。感染リスクはずっと下がるし、理想的な運動だから免疫力も上がる。移動に時間がかかる?……チッチッチ。たとえば僕の場合、自宅のある阿佐ヶ谷から、永田町の某編集部まで、電車だと30分弱。徒歩の時間を入れると計40~50分だ。
一方、自宅から編集部までの距離は約12㎞。スポーツ自転車なら赤信号を入れても40~50分だ。同じやないか。
これからは季節もいい。桜の開花から散開に新緑、野の花の一斉開花等々、自然の移り変わりを眺めながら出勤すれば、俳句のひとつでも読みたくなるような豊かな心持になれる。

和田堀公園。桜はまだ蕾でした。

今回、目指すのは品川区の大崎だ。あっち方面で別の取材があるのだ。言葉は悪いがついでだ。僕は忙しいのだ。
本来なら現地で気ままに店を探したいのだが、そういうわけで今回は時間に限りがある。一応“保険”として、店の見当をつけておこう。
いろいろキーワードを入れてネット検索すると、いい店が見つかった。「平和軒」。なんと創業は昭和2年。

3月の珍しくよく冷えた朝、自宅を出発。“お宝”だらけの阿佐ヶ谷でいつも時間を取られてしまうので、脇目も振らずぶっ飛ばした。
善福寺川を越えて、なんとか魔界=阿佐ヶ谷から脱出、ふうと息をつく。
深い森に包まれた大宮八幡宮が現れ、味のある通りが広がった。参道らしい。義経公ゆかりの旧跡もある。

義経公が馬の鞍をかけた松だそうです。

参道が終わると、コンパスを見ながら南の方角へ、匂う小路を選んで適当に入っていく。
すぐにまた雰囲気のある通りに出た。看板には「和泉仲通り商栄会」。
ひなびた商店街だった。遠くの町に来たみたいだ。旅情すら感じられる。趣のある参道に、旧跡、生活感と哀愁が漂う商店街……そうだ、まさに田舎町と同じ空気なのだ。
東京といえば、都会の華やかなイメージが強かったけれど、東京に住み始めてからは、またこの「麺店ポタリング紀行」を始めてからは、すっかり印象が変わった。東京は、ごく一部のビル街や繁華街をのぞけば、大半は“素朴な田舎町の集合体”なのだ。それぞれの町に味と温もりがある。

半年前はラグビーW杯の幟がはためいていたけれど、いまは一様に五輪。寒風が吹いています。

ああ、やっぱり楽しいなあ。しみじみそう感じながら、古びた商店街を走っていると、無駄に旅を重ねて研ぎ澄まされた“お宝アンテナ”の髪がピピピピと震えだした。ん?何か匂うな。
前方に目を据え、自転車をこぎ続ける。
しばらくして髪がピコンと立ったかと思うと、次の瞬間、超ド級のものが現れ、うしろに倒れそうになった。
「ガウディかよっ!」

いっそコンビニ看板も同じ世界観にすればよかったのに!

しばらく呆然と見ていたが、やがてふつふつと笑いがこみ上げてきた。こういうところが東京はおもしろいんだよな。ポタリングすると、結構な頻度でぶっとんだ建物に遭遇するのだ。

なんなんですかねぇ、このタイルの紋様は。ガウディの影響は受けていると思うけど……。

最初は幼稚園かと思ったが、どうやらマンションらしい。これだけおかしな、あ、いや、前衛的な建築だと、同じ間取りでも賃料は高いのかな?

マンションのエントランス。なにこれ……。鉄柵の向こうには中庭が見えます。

再び走り出す。いやあ、やっぱり宝島だよ、東京は。古い情緒にアートなおもしろさ、両方が詰まっている。
ん?また髪がむずむずし始めたぞ。ピピピピ……。
ピコン!

女性のオブジェに目が奪われますが、細部の意匠にもご注目。

「こんなんばっかかよ!」
アートすぎるにもほどがある!
横にまわると、さらにのけぞった。

なんでペガサスやねん!頭出てるし!

一瞬、“愛の宿”かと思ったが、それにしては手が込んでいる。どうやらここもマンションらしい。さっきの物件と同じ建築家じゃないの?
帰ってネットで調べると、正解。梵寿綱という知る人ぞ知る建築家の作らしい。日本のガウディなどとも呼ばれているそうだ。

走れば走るだけ出会いがある。

さらにコンパスを見ながら南へ南へ、小路を縫うように走っていくと、線路に出た。駅だ。東松原駅と書かれている。そこで初めて地図で確認すると、すごい、狙ったとおりだ。世田谷3丁目に近づいている。はは、やっぱり楽しいよ。東京は巨大な海だ。その中を方位磁石だけ頼りに“帆走”すれば、ちゃんと目的地に着くのだ。

この後に訪ねた戸越銀座。ここもコンパスだけで辿り着きました。

それからは地図をこまめに見ながら微調整し、10分後に最初の目的地、「鹿港」に到着。当シリーズの「豪徳寺編」で行った肉まんの店だ。その場で食べたときはとくに何も思わなかったが、持ち帰って家で食べたら、まったく別物のように感じられ、妻とともに大ファンになった。
肉まんを大量に購入してバッグに入れ、再び自転車にまたがり、こぎ始める。
「鹿港」から大通りを渡り、匂う小路を適当に選んで入ると、10秒後に「ええっ!?」とおったまげた。

「世田谷代官屋敷」。国の重要文化財。屋根は去年ふき替えたばかり。きれいなわけです。

なんだこの見事な茅葺屋根は。これほどの規模と美しさは田舎でもなかなかお目にかかれないぞ。
吸い寄せられるように近づいていくと、管理人小屋のようなところにおじさんがいる。目が合ったので見学していくことにした。なんと無料だという。
なかに入るとこれまた感心した。外見に負けず劣らず立派で、“つくりもの感”が一切ないのだ。

湾曲のすばらしい梁。これも300年近く前の創建当時の建材でしょうか。

パンフレットによると、1737年に建てられた都内唯一の代官屋敷らしい。

水に濡れたような手延べガラスも残っています。このガラスも戦火に耐えたのかな?だとしたらすごいな~。

ああ、完全に旅だよ、これは。東京で、しかも自宅から20km程度しか走っていないのに、発見に次ぐ発見だ。ワクワクしっぱなしだ。
事前に名所を調べ、ナビ通りに走ってもつまらないのだ。“確認”に高揚感はない。スマホを捨てよ、町へ出よう、だ。ああ、じじぃだな。でもいいや。
東京の小路は本当に“お宝”だらけなのだ。何も決めなくていい。気ままにさまよえば、不思議なぐらいたくさんの発見がある。いや、東京に限ったことじゃない。ある雑誌の取材で日本各地を14年に渡って走っているのだが、毎回どの話を削るのかで頭が痛いほどなのだ。おもしろいのだ。日本は。
さあ、大崎までもうすぐだ。その前にちょっと寄っていきたいところがあった。
昭和風情の“お宝”を追いかけるこのシリーズ、東京一のあそこに行かずには終われないのだ。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。