アルポルトの物語
「マリーエ」がオープンした時代|アルポルトの物語③

「マリーエ」がオープンした時代|アルポルトの物語③

イタリアから帰国してからの片岡護シェフは、日本でさらなる修業を積む。イタリアで5年、日本で2年。雌伏の時を経て、20代後半、自身が先頭に立って腕を振るうイタリア料理店「マリーエ」のオープンを迎える。1977年、日本のイタリア料理が大きく動き始めていた。

日本での修業時代のこと。

冷たいトマトのパスタの“カッペリーニ ・ア・ラ・ケッカ”。フルーツトマトの甘酸っぱさが清涼感を誘う佳品。前菜としても楽しめる。

5年振りに日本の土を踏んだ片岡護さん。だが、懐かしさに浸っている暇はなかった。
イタリアで数々の経験を重ね、修業をしてきたとはいえ、レストランで本格的に学んだわけではない。料理人としてはまだまだ半人前。ここでしっかりプロとしての気概を養うべく門戸を叩いたのは代官山「小川軒」だった。
それまでのいきさつを懐かしそうに片岡シェフが語る。
「最初はね、芝にあるグランメゾンの『レストラン クレッセント』で働きたかったんです。でも、スタッフの空きがなくてね、断わられちゃった。それなら銀座「レンガ屋」(ポール・ボキューズとの提携店)に、とも思ったんだけど、金倉さん(金倉栄一さんのこと。片岡さんを料理人として雇い、イタリアへと誘った外交官)から『東京で一番厳しい店で修業をしなさい』って言われたので「小川軒」に決めたんです」
だが、「入るまで何料理の店か知らなかった」そうだから、いかにも大らかな片岡シェフらしい。

“和牛ヒレ肉の赤ワインソース”。シンプルにヒレ肉をグリル。素材の味をストレートに味わえる。14,000円コースのメイン。

「小川軒」といえば、創業は日露戦争直後の明治38(1905)年という老舗洋食フレンチ。三代目の小川忠貞氏は反骨精神溢れる毒舌家。料理に対する真摯な姿勢と揺るぎない信念に関しては、ほかの追随を許さない強面の名料理人で知られていた。
さぞかし緊張感溢れるキッチンだったと思われるが、「よく言われているほど大変でもなかったんだよね。別に怒鳴られたりすることもなかったし……」と、当の片岡シェフは飄々としたもの。
思えば、海外での料理修業などまだまだままならなかったこの時代、20歳でイタリアに渡り5年間修業を積んできた片岡さんに対し、忠貞氏も一目置いていたのかもしれない。忠貞氏自身、同じく20代で渡仏。異国で修業する厳しさを肌で感じてきた身として、どこかエンパシーを感じていても不思議ではない。

“ブラッタチーズの野菜ラビオリ 菜の花ソース”。ブラッタチーズのほかにリコッタチーズも入ったラビオリは旨味豊か。菜の花が季節感を感じさせる。これは14,000円コースのプリモピアット。
たっぷりのバターでゆっくりと温めるように火を入れる。リッチな美味しさだ。

修業の厳しさよりも、片岡さんを驚かせたのは、むしろ「小川軒」特有の料理スタイルだった。
「僕がイタリアで構想を練っていた小皿料理を、ここではもう既にきちんと完成させた形で提供していたのですから」
まさに神様のお導きとでも言おうか。片岡さんにとってはラッキーこの上ない出会いだった。

日本のイタリア料理が開花する頃。

さて、この「小川軒」での2年に及ぶ修業の後、いよいよ片岡シェフが世に出るきっかけとなる西麻布「マリーエ」のオープンを迎えるわけだが、オーナーである声楽家の五十嵐喜芳氏との出会いはイタリア在住時代。ミラノでの生活にもすっかり慣れた23歳の頃だった。
「五十嵐さんは、金倉さんと仲が良くてね、領事館にもたびたび食事にいらしていたんです。それで、僕の料理を随分と気に入ってくださったみたいで、『片岡くん、東京に戻ったら僕とイタリア料理店をやろう』と、おっしゃってくださっていたんです」
とはいえ、いざ店を開くにあたり、当初は、本場そのままの料理にこだわる五十嵐氏と日本の懐石スタイルを取り入れた新しい小皿料理のコースを標榜する片岡シェフの間で、意見の食い違いもあったとか。だが、どうしても譲らない片岡シェフの熱意に、最後は五十嵐氏が根負け。
片岡シェフは器など諸々の準備のために再度イタリアへ。ミラノで3ヶ月間ほど過ごした後、1977年、本邦初のイタリア小皿懐石料理の名店「マリーエ」を、西麻布にオープン。時に片岡護シェフ、28歳であった。

“ハマグリと万願寺唐辛子のフェデリーニ”。万願寺唐辛子をペースト状にしてパスタに絡めることで、パスタと万願寺唐辛子が一体化。香り高い逸品に。

同じ年、いまは経堂「エルカンピドイオ」で悠々自適の料理人生活を送る吉川敏明氏が、西麻布に「カピトリーノ」をオープン。「マリーエ」とは対照的に、当時としてはかなり本格的な料理を出す店として知られていた。
また、代官山にも一軒、本場を思わせる料理やサービスで賑わいを見せるイタリア料理店があった。店の名は「ラ・アリタリア」。オーナーシェフの林勝彦氏と背のすらりと高い美人マダムのトキさんが切り盛りする小さな店で、テーブル4卓ほどの店内にはいつも旨いもの好きの文化人が集い、時には外で待つ人もいたほど。常連客の中には、あの向田邦子氏の姿もあり、「四季の味」(1977年発行)のエッセイでは、退院したら真っ先に行きたい店としてその名を挙げている。この「ラ・アリタリア」は、九段下に倉庫を改装した伝説のリストランテ「ラ・コロンバ」も出店。マダムは1978年に、いまや代官山のシンボルの一つとも言える洋館のフランス料理店「マダム・トキ」をオープンしている。

牛尾は、赤ワインとトマトソースとセロリを合わせた中で、約2~3時間煮こむ。

本格的なイタリア料理ブームの黎明期ともいえるこの時代に産声を上げたリストランテ「マリーエ」。
見た目も美しく、端正な味わいの片岡流イタリア懐石料理は、瞬く間に時の美食家たちのハートを捉えた。予約の取れない人気店となり、その後、片岡シェフが退くまでの6年間、店は連日満席。片岡シェフは、一躍時の人となる。
まさに片岡シェフの思いが功を奏したわけだ。

――つづく。

“牛尾の赤ワインソース煮込み”。知る人ぞ知る「アルポルト」の名物料理。ホロリとほどける牛尾の柔らかさに加え、トマトソースと赤ワインのバランスも絶妙。心に残る秀作。

店舗情報店舗情報

アルポルト
  • 【住所】東京都港区西麻布3‐24‐9 上田ビル地下1階
  • 【電話番号】03‐3403‐2916
  • 【営業時間】11:30〜13:30(L.O)、17:30〜21:00(L.O.)
  • 【定休日】月曜、第1火曜
  • 【アクセス】東京メトロ「広尾駅」、東京メトロ・都営大江戸線「六本木駅」より12分

文:森脇慶子 写真:吉澤健太

「マリーエ」がオープンした時代|アルポルトの物語③

森脇 慶子(ライター)

高校時代、ケーキ屋巡りとケーキづくりにハマってから食べ歩きが習慣となり、初代アンノン族に。大学卒業後、サンケイリビング新聞社で働き始めたものの、早々に辞めて、23歳でフリーとなり、食専門のライターとして今に至る。美味しいものには目がなく、中でも鮎、フカヒレ、蕎麦、スープをこよなく愛している。