森の急斜面で育てられる山形の在来作物「温海(あつみ)カブ」。"畑"が壮大な「焼畑」ならば、連なる山々を背に森林に分け入る収穫の様子もまたダイナミック!いにしえより伝わる、林業と一体となった自然農法で育つカブの収穫に立ち会った。
カレンダーはクリスマスイブ。いつもは雪景色の山形県の温海(あつみ)地区だが、暖冬ということもあり、雪はほどんどなく、実に穏やか。
情報誌と食べ物をセットで届ける『山形食べる通信』の元編集長で、山形の野菜でつくるピクルスブランド「beni」を手がける松本のりこさんから、この冬最後となる温海カブの収穫が焼畑で行われると聞きつけ、温海町森林組合へと向かった。主任の忠鉢(ちゅうばち)春香さんに山を案内してもらう。
その前に、どうして林業の団体である温海町森林組合が温海カブの栽培を行っているのかに触れておこう。
温海地区において、焼畑でカブが栽培されてきたのは江戸時代からのこと。それらは山を所有する個人個人がそれぞれで行ってきたものだった。
長い歴史を誇るこの農法は、実は少し前までは消滅の危機にあった。
山の斜面から杉を切り出し、焼畑し、そこでカブを育ていく農法は、林業との循環あってこそ。価格の安い海外の木材に押されて、林業が廃れていくなかで売れないから切らない
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切らないから森が荒廃していく
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そしてカブを育てる場所もなくなっていく……
そんな悪循環に陥っていたのだ。
そんな状況に対して地域全体で取り組んでいるのが温海町森林組合だ。
地域の森を一括で管理し、森までの道を整備したり、杉の間伐材や端材をバイオマス発電用の燃料として利用したり。木材の新しい利用法を開拓しながら、人工林を若返らせるサイクルを生み出している。
その中で、森林組合がこれまで個人個人が行うにはあまりに労の大きかった焼畑などを担い、カブの生産も手がけるようになる。
それは地域に新たな雇用を創出しつつ、温海地区の豊かな森と文化を次世代に伝える、すばらしい取り組みなのだ。
在来作物や地域固有の保存食、手仕事の文化は、変わりゆく時代の流れの中で、現在急速に失われつつある。
いにしえの知恵は、ただそのまま伝えていくのではなく、今の社会にあった形でアップデートさせていく必要があるのだなぁ。
大きな道路から少しずつ山へと入っていき、細い道がアスファルトから砂利道に。
上り坂を少し登ったところが今シーズンの温海かぶを育ている斜面だという。
上へ上へ、横へ横へ。焼畑の名残り、漆黒の杉の切り株が広がる斜面は壮観。これだけの斜面を焼畑するって、相当な人出と労力がいるに違いない。
次こそは夏に、その風景を見に来たいと思う。
ふと足元をみると、赤紫色のカブがいたるところに顔を出している。
なるほどこうやって斜面を焼いているからこそ、病害虫がいなくなり、土に栄養が入っていくんだ。
黒々とした斜面に自由奔放に育つかぶの姿を見ていると、とても誇らしい気分になる。
その姿に見惚れている間も、収穫係のおじさま&おばさまは、なかなかの急斜面をもろともせず、ものすごい手際で背負いカゴにカブを収穫していく。
「好きなだけ穫ってくださーい」
忠鉢さんから我等も袋を渡されると、一同、目の色が変わって収穫に勤しむ。
身の締まっていそうな小ぶりなものを探しては引っこぬく。
いや「引っこぬく」という表現は語弊がある。カブは急な斜面に生えているのだが、するっと抜けてくるのだ。
「生で食べてみてください」
忠鉢さんから声がかかる。
森の中でガブリと、最高の贅沢だ。
パリっとした歯ごたえ、みずみずしさの中に広がる辛味と旨味。山の斜面で育つカブは味わいもワイルドだ。
いわゆる畑で育つの整然と並んだ野菜の姿しか見たことがない人なら、この生えている姿や味わいのワイルドさは、既成概念を打ち破られるのではないだろうか。
正味30分ぐらいだろうか。軽トラの荷台に半分ほどの温海カブがあっという間に収穫されたのでありました。
収穫も一段落して、せっかくなので記念撮影でもしましょうか。なんてタイミングで「斜面をよく見てください」と忠鉢さんのから一言。足元には、若々しい緑の息吹。次世代に繋げていく、杉の苗木が植えられていたのだ。
この苗木が育っていくのに合わせて、間伐しながら成育させていく。
次にこの斜面で温海カブを育てるのが、この苗木たちが立派に成長し、木材として切り出される、約50年後と思うと感慨深い。
「在来作物は生きた文化財」
松本のりこさんが感銘を受けた、在来作物研究研究の先駆者だった故・青葉高先生の言葉だそう。
森の循環を次の世代へ続けていく。
焼畑育ちの温海カブは、なんと美しい営みの中にある野菜なのだろうか。
――つづく。
文:マツーラユタカ 写真:萬田康文