東京から故郷の山形県鶴岡へ移住を果たした、料理家のマツーラユタカさん。一度、離れたことで見えてくる地元のフツウ。そのひとつが、山形の在来かぶのことだった。そしてもうひとつ。食堂で供される中華そばのおいしさもしかり。何種もの節で取る魚介だし、つるつる滑らかで少し縮れていて量はたっぷりの自家製麺。ピースフルな日常に潜む中華そばの素晴らしさを、いま高らかに謳います!
2019年7月から山形県鶴岡市にUターン移住して、早7ケ月。
気が付くとスマートフォンのアルバムには、ラーメンの写真がよく出てくる。東京時代に比べて、ラーメンを食すことがめっぽう増えた。
山形県はラーメン消費量、日本一として知られる県(総務省統計局の家計調査《二人以上の世帯》品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市にて、2016年~2018年の平均で全国1位)。
広い県内、独自の進化を遂げたご当地ラーメンが存在するが、鶴岡市はお隣の酒田市と並んであっさりめの魚介だしのラーメンが多い土地である。食の専門誌、月刊『dancyu』で取り上げられ、最近ではTV番組『情熱大陸』でも特集された「琴平荘」を筆頭に、おいしいお店がひしめく街。
その中で僕がおもしろいと思っているのは、“食堂中華”のレベルの高さだ。
そば、うどん、中華そば、丼もの……。どこの街にもある、メニュー豊富ないわゆる街の食堂。そこで食べる中華そばが鶴岡ではことごとくうまい。ドライブインから温泉に併設された食堂に至るまで。「どこで食べてもおいしい」と地元の人がよく言うが、決して大げさではない。鶴岡は、食堂中華のワンダーランドだと思う。
自分が小さい頃は、実家でもおばあちゃんちでも、近所の食堂からよく出前を頼んだ。家にお客さんが来ると、「じゃあお昼は中華そばで」となる。おかもちを取り付けたスーパーカブが玄関先に停まっては、ラップをピチッとかけたラーメン丼をおじさんが玄関先に運んでくる。中華そばはご馳走であり、家族みんなで食べるもの、そんな意識が山形県人のDNAには刻まれているのかもしれない。
昔ながらの中華そば。その源流は、昭和初期に東京や横浜の中華街から移り住んだ中国人が伝えたもの。諸説はあるが関東大震災以降に、新天地を求めて中国人が移り住んできたのがその時期で、「日本そば」に対して「支那そば」や「中華そば」と呼ばれたのがはじまり。
この流れ自体は、日本の各地で共通するエピソードだと思うけど、山形はもともとそば処として知られる土地。そば屋や大衆食堂に中華そばが取り込まれていったという。
僕が鶴岡でお気に入りの「いろは食堂」もこの系譜にあるお店だ。昔から酒造りが盛んで今も4つの蔵元が精を出している鶴岡市郊外の大山地区。大通りの角に面した食堂は、玄関先の一枚板に威風堂々「いろは」の文字がトレードマーク。地元の人たちに愛される食堂だ。
お品書きは中華そばから、ざるそば、そしてこれまた鶴岡が誇る麺文化「麦切(むぎきり)」と呼ばれる冷やしうどんなどの麺類が充実。チャーシュー麺とはまた別物の「焼肉中華」や「かつ中華」なんて少しチャレンジ系のメニューもありつつ、カレーライスといったごはんものもラインナップ。
いろいろなメニューが気になりつつも、いつも決まって頼むのは中華そば。
透き通ったスープ、チャーシュー、メンマ、ねぎ、そして三角形に切られた海苔が愛らしい。教科書に載っているような由緒正しき中華そばのルックスだ。
煮干し系のかぐわしい香りのするスープは、ほんのり甘めでおだやかな味。このスープはとにかくクセになる味。麺はやや細めで、ほどよく縮れていてよい食感。どちらも主張しすぎず、全体が調和していて素晴らしい。
そのおいしさの理由を知りたくて、店主である岡崎仁さんに話を伺う。
「創業ははっきりしたことはわからないのですが、もともとはそば専門だったんです。私で8代目。ラーメンをはじめたのは比較的新しくて……。祖父が小学生の頃だったというので、だいたい70年前ぐらい前なのではないでしょうか」
「比較的新しくて」に続く言葉が「70年」と聞いて、その積み重ねてきた年月に頭が下がる。だいたい昭和20年代から続いてきた中華そばということになる。
麺は自家製で、山形県産の小麦を含む、4種類の小麦をブレンド。毎朝3時頃から、御歳80歳になる仁さんのお父様が製麺しているのだそう。そばも麦切も、自家製麺と聞くと、いつも中華そば一択だったが、俄然他のメニューも気になってくる。
そして、一番聞きたかったのがスープのこと。
「煮干しに鰹、荒亀、飛び魚……。うちはざるそばもやっているので、みんなだしが共通なんです」
厨房の奥へ特別に案内していただき、使っているおだしの一部を見せていただく。煮干しは、かたくちいわしと焼き煮干し、うるめ煮干し。鰹節が本節、荒本節、荒亀節。さらにはさば節に飛び魚に……8種類以上の魚介のだしを組み合わせておだしを取るのだそう。
「ラーメン専門でやるならだしの種類も絞った方がいいと思うんだけど、うちはそばも麦切もあるからね」と岡崎さんは自嘲気味に話されるが、すべての麺類に合う最適解としての魚介だし。もともとがそば屋だからこそ生まれた、やさしい醤油味のスープのさじ加減。これこそがいろは食堂のスープの個性なのだと思う。
最近流行りのラーメン専門店が生み出す一杯は、ファーストインプレッション重視で、最初のひと口の印象が鮮やかで強いが、食べ飽きてしまうことも多い。
それに対して「いろは食堂」は、おだやかでしみじみうまい。味の設計図がそもそも異なる。東京から友人たちが訪ねてくると、「いろは食堂」に連れてくることが多いが、数々の女性たちが(もちろん男性も)ここのスープを飲み干すのを見届けてきた。最後の最後までおいしいのだ。
全部で80席以上あるであろう、いろは食堂の広い、広~い店内。これがお昼どきには、見事に満席となるから壮観だ。いつものように中華そばをたいらげて、奥のお座敷から店内を見渡すと、窓からはさんさんと陽が注ぎ、あちらこちらから中華そばの湯気があがっている。
ご年配のご夫婦、ちびっこからおばあちゃんまで、3世代で来ていると思われる家族連れ、お昼休み中のおじさまたち……。
ピースフルで圧倒的な日常感。この感じはなんだ。
あぁ、わかった。地元の日帰り温泉のそれに近い。
鶴岡は麺処であり、温泉処でもある。湯気の向こうにある幸せを求めて、ぜひ来鶴を。食堂中華のおいしさは、単なるノスタルジーとは違っていた。長い年月を越えてきた色褪せない味。ぜひ多くの人に味わっていただきたい。
――おわり。
文:マツーラユタカ 写真:萬田康文/マツーラユタカ