農薬に頼らず農業を営むことは簡単なことではない。想像よりも遥かに大変な手間と時間が必要なのだ。それでも、世界には有機農法を続ける生産者がいる。自分たちの子供や孫へ、健康な土壌を引き継ぐためだ。ドイツで広がるビオワイン造りのこと。
ビオワイン、ビオワインとひと口に言うけれど、それは決して簡単なことじゃない。化学合成した農薬などの使用量はなるべく少ないほうがいい、というのは21世紀のいまであればぶどうに限らず、農業に携わるほぼ全員が抱く共通認識だろう。
でも、実際に農薬を使わずに農業を営むには数多の苦労が伴う。踏み出す生産者は決して多くはない。オーガニックでぶどうを栽培するために微生物が棲む土壌をつくるには最低3年、ときには10年以上かかることすらあると言われる。
多くの生産者は、土壌が本来の自然のサイクルを完全に取り戻せば、その後はそれほど大きな手間はかからないと言う。けれど、化学合成した農薬や肥料をやめた直後の移行期間はぶどうが病気や虫の被害に遭いやすく、それゆえビオを断念してしまう人も少なくない。
ラインヘッセンは、ドイツにおけるビオワインの中心地である。現在、ドイツのぶどう畑の7.3%がオーガニックで、2008年は4400ha、2018年は9300haと10年間で2倍以上の伸びを見せている。そのうちの3分の2は、ラインヘッセンも位置するラインラント・ファルツ連邦州にある。
ドイツでワインに限定したビオ生産者団体「エコヴィン(ecovin)」の前身が立ち上がったのは1985年。その本部が位置するのも、ここラインヘッセンだ。238生産者(2018年)が所属する、実に世界最大級のオーガニックワイナリー機関である。
ラインヘッセンは北部と西部を山に囲まれているので年間降水量は約600mmと少なく、その上、年間の日照時間が約1700時間までになる温暖な地。そのためカビが繁殖しにくく、病気が少なく、ビオやビオディナミをするには適した地域といえる。
ぶどうに限らず、穀物や果物栽培の盛んなラインヘッセンでは、1970年代から化学合成した農薬や肥料による健康被害が、問題視されていた。そういう現状に、一部の生産者は早くから危機意識を持っていた。
若手の醸造家団体「メッセージ・イン・ア・ボトル」の発起人である生産者・ヴィットマンの畑は1663年からの歴史を誇る。現当主であるフィリップ・ヴィットマンさんは十五代目。
その父、ギュンターさんは1980年代はじめからドイツではいち早く有機農法に挑戦した。そして1990年にはドイツ有機農業協会「ナチュアラント」に加入するなど、オーガニックを実践し続けてきた。
現当主のフィリップさんの代になり、2004年からビオディナミという農法に着手。彼が30歳のときのことだった。フランスのロワール地方でビオディナミをおこなうニコラ・ジョリーの著書に触れたのが契機になったという。
ビオディナミとは、従来のビオにくわえて月や天体のリズム、エネルギーを取り入れつつ、畑や醸造作業をおこなう手法だ。
生産者が実際になにをしているかを自らの眼で見て、理解したいとアルザス、ロワール、ブルゴーニュの生産者を訪ねてまわった。
「ビオディナミに切り換えた最大の理由は、ぶどう畑のコンディションを最良にするためです。畑に多くの動植物や昆虫が存在する生物多様性の状態になると、土壌はさまざまな栄養素を蓄えることができます。太陽、風、雨、植物といった自然を最大限に活用するビオディナミは、ワインにその土地ならではの個性や複雑さを与えるのです」
それは次世代へと、自分たちのぶどう畑と地球環境を引き継ぐことをも意味する。
「大切なのは土壌を健康に保ち、ぶどうの樹にとって最適な状況を私の子供や孫へ引き渡していくということ。健康被害を及ぼすような農薬は使用せず、地下水を汚染することなく、美しい環境を保つことは必要不可欠だと考えています」
ビオディナミ農法のもうひとつの恩恵は、培養酵母ではなく、畑やカーヴなどに自生する野生酵母でぶどうを発酵、醸造できることだろう。
野生酵母は実に320種類ほどあると言われる。それが発酵の際に順々に活躍することで、ピュアさや豊饒さ、深みや滋味といったさまざまなニュアンスが加味される。
それは培養酵母の奥行きのない味わいとは明らかに次元の異なる世界。畑の環境も、微生物もワインも、そして人間も。すべてにおいて肝要なのは多様性なのである。
――つづく。
文:鳥海美奈子 写真:German Wine Institute/kobayashiworld/鳥海美奈子