マグロをめぐる冒険。
遠洋漁船が帰って来た!|冷凍マグロ最前線③

遠洋漁船が帰って来た!|冷凍マグロ最前線③

東京・豊洲市場にある上物のマグロ仲卸「石司」で掲げられる木札には、近海のマグロ漁船とともに、海外の海で天然マグロを漁獲する船の名も掲げられている。マグロを取り巻く状況が変化している今、一船買いで“上質”を追求するマグロ専門会社、静岡県清水港にある八洲水産の水揚げへと向かった。

マグロの町、清水へ。

水平線にポツリと浮かぶ船影が、ゆっくりと時間をかけて近づいてくる。
ここは静岡県静岡市清水区にある清水港。全国有数のマグロの水揚げ港だ。
本日は快晴。今日は待ちに待ったマグロの水揚げだ。岸壁では早朝から関係者が忙しく動き回っていた。

船の入港はいつだって胸が高鳴る。さっきまで豆粒ほどの大きさだった船が、あれよ、あれよという間に近づいてきた。第二十九誉丸。白い船体に赤(オレンジ)のラインが眩しい。やがて、船のデッキに立ち、こちらに向かって笑顔で手を振る乗組員の姿が見えた。船の冷凍庫には南太平洋シドニー沖で獲れた天然のミナミマグロがびっしりと積まれている。母港である高知・室戸の港を経て、およそ6ヶ月ぶりの水揚げだ。

岸壁には誉丸を所有する船主の井上博孝さんの姿があった。
「実際に船とは毎日、やりとりをしていますが、実際に船の姿を見て、船員の元気そうな顔を見えるとホッと安堵しますね。ただ、頭の中は水揚げのことで頭がいっぱいですよ。実際に獲れた魚の状態がどうなのか。今回の航海でどれだけ稼げるのか。マグロ漁に携わる人の生活がかかっていますから」

そうこうしているうちに、誉丸が清水港の湾内に入港してきた。
船の総トン数は379t。
乗組員は総勢20人。
船の乗組員は日本人よりもインドネシア人が多い。陽気な彼らは岸壁から手を振ると、とびきりの笑顔を返してくれた。

誉丸
南太平洋での6ヶ月の漁を終えて、八洲水産のある清水港へ入港する誉丸。手を振ると、甲板に出ていた乗組員たちが手を振り返してくれた。
誉丸
誉丸を操舵するのは、船頭の山下浩明さん。港で待つ船主と八洲水産の人々に笑顔を送る。

半年の漁を経て、着岸。

船は岸壁に横付けされる。まず、船から複数のロープが岸壁に向かって投げられる。このロープの先は輪っか状になっていて、それを岸壁のビット(係留柱)にゆわえる。全長およそ50mの誉丸は、船首と船尾の側に張られたこのロープによって固定される。

やがて、エンジンが切られ、着岸。すぐに岸壁と本船とをつなぐ連絡橋が渡されると、まずは船主の井上さんが乗り込み、乗組員の労をねぎらう。

「誉丸」の船主の井上博孝さん、博勤(ひろのり)さん親子。本拠地の高知県から駆け付けた。
乗組員は半分以上がインドネシア人。陽気で勤勉。カメラを向けると屈託のない笑い顔がこぼれた。

ここから一転して、水揚げに向けて岸壁側の作業が慌ただしくなる。
岸壁で水揚げを仕切るのは八洲水産の社長、柴原毅(たけし)さんだ。

水揚げの前日、柴原さんは私たちに1枚の世界地図を見せてくれた。それはマグロの世界の主要漁場の地図だった。
「遠洋マグロ漁船は、一度、漁に出ると半年近く、中には1年もの間、日本には帰ってこない船もあります。また、マグロも種類によって生息する場所が違うんです。たとえば、誉丸が狙うミナミマグロはオーストラリアのシドニー沖です。ケープタウン沖や南インド洋沖もミナミマグロの大きな漁場になっていて、そこを目指していく船もいます。反対に本マグロの漁場は北緯60度のアイルランド沖です。ここは水温10度以下の極寒で、時には10mもの高さの荒波の中で漁が行われます。有名な大間のマグロが概ね北緯40度の漁場ですから、いかに苛酷な環境かわかると思います」

マグロを世界の海から漁港へとつなぐ八洲水産の社長、柴原毅さん。

最年少の船頭が漁を仕切る。

今回、特別に誉丸の船内を見学させてもらうことになった。
最初に案内されたのは船の前方にある操舵室だった。操舵室はブリッジとも呼ばれ、乗組員でも自由に出入りすることは許されない。全面ガラス張りの操舵室の視界は広く、目視でマグロの群れを探すこともあるそうだ。
また、船にはマグロなどの魚影を捉えるソナーが搭載されている。
そのほかにも船の針路や航行速度、現在地の緯度や経度、船の水深などの詳細なデータが表示されるナビゲーションシステムが設置されていて、これらを駆使してその日の漁場を決定するのは、船のマグロ漁の責任者である船頭だ。船頭は遠洋マグロ船では船長よりも重い責任を担う。

誉丸の山下浩明さんは、現在47歳。
船頭になった当時は、国内の遠洋延縄(はえなわ)漁船の中で最年少の船頭だという。

「もともと船の機関長をしていたのですが、釣りが大好きで、それが興じて船頭になってしまったんです。今でこそ、この季節にはこの漁場、このポイントがいいと頭に入っていますが、最初は不安で仕方ありませんでした。自分が生まれた高知県の室戸は、昔から遠洋マグロ漁船で栄えた町。船が港に帰ってくると、町の飲み屋は仕事を終えた船頭らで賑やかなんです。その風景が目に焼き付いていて、自分も船に乗るようになりました。責任は重いけれども、やりがいのある仕事です」

静かな話口で温和な雰囲気が漂う、「誉丸」船頭の山下さん。

さて、そんな話をしているうちに、岸壁には大型トラックが数台、横付けされ、いよいよ、船の船首にあるハッチを開けて、マイナス60度で凍結されたマグロの水揚げの準備が整ったようだ。
水揚げには「荷揚げ」と呼ばれる専門職の職人が投入される。
ハッチのふたが開くと、ひんやりとした冷気があたりを包んだ。
さあ、今回の航海の成果はいかに――。

――つづく。

文:中原一歩 写真:鵜澤昭彦

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。