マグロをめぐる冒険。
冷凍マグロの世界にも「最高峰」がある|冷凍マグロ最前線⑦

冷凍マグロの世界にも「最高峰」がある|冷凍マグロ最前線⑦

絶滅危惧種に指定された、日本近海の本マグロ。全国のマグロの水揚げ港に割り当てられる漁獲枠が少なくなり、マグロという資源が減っている今、静岡県清水港のマグロ専門会社、八洲水産を取材し、冷凍マグロを取り巻く最先端の状況を追いかけてきた。最高の時季と漁場で漁獲したマグロ。漁師たちとの意思疎通、マグロの質を保つための冷凍設備、美しいままに解体する職人技。 連載最終回は、取材を経て想う総括です。

国産最高峰のマグロを競う鮨シーンは2000年の前半から始まった。

いつの頃からか、東京の鮨屋でマグロといえば青森・大間に代表される「国産本マグロ」を指すようになった。
そして、始まったのが国産本マグロのどの部位を、どの仲卸で買っているかで、その店の格が決まるという高級鮨店全盛の時代だった。

マグロ握り
静岡県清水「末廣鮨」の南マグロのさまざまな部位の握り。赤身から脂の乗った部位まで愉しめる。マグロは水揚げ、加工・販売、輸送を一貫しておこなう八洲水産から仕入れている。

その時代の旗手となった店が、当時、東京・銀座に進出した「あら輝」だったと思う。カウンターに座ると、のっけから国産最高峰のマグロの腹カミの大トロ、中トロ、赤身が二貫ずつ登場。トドメはそれらの部位が、これでもかと入った「チョモランマ」という手巻きだった。多くのメディアがマグロこそ鮨屋の華だと挙ってこれを取り上げた。もちろん、それ以前も銀座の知る人ぞ知る店ではマグロに特化した鮨のスタイルを確立していたし、世田谷・奥沢にあった「入船」では、国産本マグロのあらゆる部位を使った盛り込みや丼が、破格の1万円で提供されるなどしていた。

「あら輝」の登場が2000年の前半である。そこから一気に東京の鮨シーンは、マグロを主役とし、マグロと絶妙な相性を見せる赤酢を使ったシャリの時代が始まる。マグロは高級寿司店の代名詞と呼ばれ、銀座はもちろん、神楽坂、西麻布、六本木……。
こうした繁華街の高級店には、マグロを求めて半年も前から予約の電話が殺到するようになる。

いつまで日本人は、国産本マグロを食べることができるのだろうか。

確かに国産本マグロは旨い。正確にいえば真冬の旬を迎えたマグロの旨さは他の追随を許さない。口に入れた途端、シャリと相まって広がる旨味と香りは、時に人生観さえ変えてしまうほどだ。
しかし、間違えてはいけないのは、国産本マグロだけが正真正銘の「マグロ」と言い切ってしまっては、本当のマグロという魚の奥深さを味わうことはできなくなる。その上、絶滅危惧種に指定されている国産本マグロは今、資源管理回復の目的を達成するために、その漁獲枠が厳しく制限されている。沿岸漁業者の間では、これ以上、漁獲が制限されると廃業するしかないと声を上げる人もいる。

吊り上げられた冷凍マグロ
八洲水産のある清水港にて。遠洋から帰ってきた漁船から、最適な漁場と時季を見て獲ったマグロが次々水揚げされる。

私が本連載「マグロをめぐる冒険」の中で「八洲水産」を取り上げたのは、いつまで日本人は、国産本マグロを食べることができるのだろうか、という危機感からだった。何より、東京・豊洲市場で「上物師」と呼ばれ、国産本マグロに特化して商売をしてきた「石司」が、豊洲移転を契機に、八洲水産とタッグを組んで、大西洋を中心とする世界の海で獲れた最高ランクの冷凍マグロを扱い出したことは、ちょっとした衝撃だった。生の国産に比べて、海外の冷凍のマグロは、値段も味も格下。そう決めつけている自分がいたからだ。
実際に取材をしてみると、そもそも日本と海外では資源の絶対量が違うことが分かった。
良質の魚が海外の漁場には豊富にいるのだ。

外観
東京中央卸売市場、豊洲市場で上物のマグロを扱う「石司」。
船札
「石司」の店頭には、信頼を寄せるマグロ漁船の木札が掲げられており、遠洋を漁場とするマグロ漁船の船名も並ぶ。
マグロブロック
生と2本柱で、冷凍の上質な本マグロも扱っている。

また、ひと口に海外と言っても、重要なのは、どの船が獲った魚かということだった。船に乗る船頭によって、釣った後の鮮度を保つための迅速な処理、マグロの味を決定づける冷蔵、冷凍技術に差が出ることも知った。
つまり、国産本マグロに負けるとも劣らない技術革新が冷凍マグロの世界にも、当たり前だがあったのだ。

これから、マグロの中心は、海外のマグロかもしれない。

何より古くから「遠洋漁業」の基地として栄えてきた静岡・焼津の人々のスケールは、まさにグローバルだった。会話の中に、当たり前のように「ケープタウン」や「アイルランド」など海外の港の名前が登場する。360度、視界を遮るものが何ひとつない水平線に囲まれて生活する漁師の目は、本当の意味で「魚眼」だった。日本にいると、どうしても些細なことが気になって視界が狭くなってしまう自分がいる。

しかし、遠洋の船に乗る乗組員は、常に広い世界とおおらかな気持ちで対峙していて、その言葉は示唆に富むことばかりだった。

漁船
南太平洋での6ヶ月の漁を終えて、八洲水産のある清水港へ入港する誉丸。
船員
誉丸の船頭、山下浩明さん。

八洲水産の柴原毅社長は、とても人懐っこい人で、宴席では常にマグロと漁師の話ばかりだった。うちが仕入れる船には、あんな人がいる。こんな人がいる。マグロのことを話す柴原さんは、子どものようだった。宴席の最後は漁師も交えて、カラオケになることが多い。
漁師たちの十八番は「オイラの船は300t」。最後のサビの部分の「300t」を、自分の船のトン数で歌うのがお約束だった。

宴会の様子
八洲水産社長の柴原毅さん。

いずれにしても、マグロは奥が深い魚なのである。国産本マグロの世界に「最高峰」があるならば、冷凍マグロの世界にも「最高峰」がある。
冷凍技術の進歩で、その味は、食べつけている人であれば、その違いがわかると思うが、一般の人には絶対に分からない。何より安価で供給量も安定している。

マグロ握り

これから、マグロの中心は、海外のマグロかもしれない。
残念だったのは、漁の現場に行けなかったこと。
いつか、世界で最も揺れるという、北大西洋アイルランド沖のマグロ漁に同行し、過酷な海で体を張る漁師を取材したいと思う。
めくるめくマグロをめぐる冒険を、これからも続けていこうと思っている。

――冷凍マグロ最前線
シリーズ「マグロをめぐる冒険。」 了

文:中原一歩 写真:鵜澤昭彦

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。