マグロをめぐる冒険。
旨さの秘密、マイナス70度の冷凍技術|冷凍マグロ最前線⑥

旨さの秘密、マイナス70度の冷凍技術|冷凍マグロ最前線⑥

最高の時季と漁場で漁獲された遠洋のマグロが水揚げされたら、すぐさま冷凍庫へと運ばれる。この冷凍庫こそ、南極よりも寒い、八洲(やしま)水産が誇るマイナス70度の超低温の設備。マグロの質を保つ冷凍設備と、見た目も美しいままに解体する職人技が、八洲水産の冷凍マグロの技術を支えていた。

世界でいちばん冷たい場所、マイナス70度の世界は静岡県にあった。

八洲(やしま)水産の冷凍マグロの味を決定付けるのは、マイナス70度にも達する特別な超低温冷凍庫だ。マイナス70度といえば世界で最も寒い場所になる。そんな場所が温暖な静岡県にあると聞いてなんだか不思議な気持ちになった。

南太平洋で獲られた天然のミナミマグロは、釣り上げた後、船に設置されたマイナス60度、あるいはマイナス65度の冷凍庫で一気に凍結される。

この状態でも十分、魚の鮮度は保たれるそうだが、八洲水産が所有する陸の冷凍庫は、さらに10度も低い温度となる。 その特殊な冷凍庫は清水港のほかにもう1ヶ所ある。そこは意外にも海の近くではなく、清水港から車で40分ほど走った山間部の工場団地の一角にあり、加工場も備えているという。清水港から向かう道中、晴れた日ならそれは見事な富士山を見ることができる。

富士山

マグロの品質を保つ、マイナス70度の世界に入ってみた。

「マイナス70度の冷凍庫がどんなものか、ぜひ、中に入って体験してみてください」
八洲水産の社長、柴原毅(たけし)さんに付き添われて冷凍庫に向かう。
まずは防寒着を着用する。映画に登場する南極探検隊の完全防備に近い格好で、歩くのもやっとの状態だ。普段の作業は専用のフォークリフトで行われる。操縦席の部分に暖房が入っているので、マイナス70度の世界とはいえ、無理なく作業することができる。
冷凍庫は二重構造になっていて、まず、「準備室」と呼ばれるマイナス30度の部屋がある。これは外気を庫内に流入させない仕組みなのだそうだ。

冷凍庫入口

そして、いよいよ本番。けたたましい音と共に分厚い自動扉が開かれ、いよいよ「本庫」へ。一気に真っ白い冷気が足元に忍び寄ってくる。
「そのまま進んでください」と、柴原さんが声をかけてくれる。
まるでロボットのようなぎこちない動きで中に入る。まずはマイナス30度。上と下から吹き出す冷気が全身を包む。しかし、防寒着を着用しているからか、まだ十分に耐えることができる。
しかし、2つ目の扉が開いた瞬間。そんな余裕はどこかに吹き飛んでしまった。マイナス70度の世界はまるで深海のような不気味な静けさだった。目の前には所狭しと専用のパレットと呼ばれる鉄製のカゴに入ったマグロが積み上げられていた。パレットひとつ分で約1tのマグロが保管されている。八洲水産には、同じ超低温冷凍庫が5棟あり、およそ5000tの在庫を常備しているという。

冷凍庫内
冷凍庫内
冷凍庫内

圧巻の光景に見惚れているのも時間の問題だった。明らかにマイナス30度とは次元が違う。鼻から息を吸い込むと、全身の細胞が明らかにビクッと覚醒したような感覚に陥った。次の瞬間、露出している眉毛とまつ毛が凍った。そして、それがもう限界だった。時間にして1分もなかったと思う。

逃げるようにその場を後にして冷凍庫を出た。文字通り「命からがら」と言った気持ちだった。柴原さんをはじめ従業員の方々も、ここで作業をする時は人一倍、注意をするという。

「若い頃はこの冷凍庫に入って霜をとる作業をやっていました。もちろん、安全第一で行います。うちでは、通常の業務用冷凍庫に先駆けて、この超低温冷凍庫を昭和54年に導入しました。これで保管すれば、天然マグロの品質を落とすことなく、長期間、保存ができるのです」

解体技術もまた、マグロの味を左右する大事な要素。

時に2kgにもなる鉈(なた)のような包丁を用いて、マグロを一刀両断にする「解体」は、マグロを扱う人々の間でも花形だ。しかし、中骨まで完全に凍結されているマグロは、マグロ専用の包丁であっても歯が立たない。冷凍マグロの解体には生のマグロとは異なる熟練の技術を要する。

超低温冷凍庫で保管されたマグロは、まず、「バンドソー」と呼ばれる電動の専用ノコギリを使って「上身」と「下身」に分けられる。このとき、マグロは「横」ではなく泳いでいる状態と同じ「縦」の向きで刃を入れる。八洲水産でこの花形の「解体」を任されているのは、濱口友希さん。この部署に配属されて10年になる。

柴山さん?
マイナス70で保管されたマグロの「バンドソー」での解体を担当する濱口友希さん。

「バンドソーの刃が中骨のど真ん中、つまり脊髄の部分に当たるようにしなければなりません。魚体が200kg近いマグロは流線型をしているうえに、中骨に対して身が左右対称かといえばそうとも言い切れません。そんな個体別のマグロの状態を見極めて、目測だけを頼りに刃を入れるのですが、これがすこぶる難しいのです」

指にはめる道具
事故から身を守る道具を身に付けて解体に望む。指先を守る金属製の道具。
厚手の手袋
鎖帷子を思わせるような金属製の手袋も身に付ける。
鉈のような包丁
解体したマグロの血合いなどを除く刃物
鉈のような包丁
こちらも、解体したマグロを掃除していく刃物。

上身と下身に分けられたマグロは、その後、それぞれの身がさらに2等分される。
その後、今度は部位ごとのブロックに手作業で解体されてゆく。
切り出されたブロックは「テンミ(赤身)」と「カワラ(腹身)」に分けられ、さらに注文が入ると、これを私たちが見慣れた「サク」の状態にまで加工して出荷するのだ。
この段階で「シミ」や「血栓」など雑味の原因になる場所があれば取り除いて、掃除を施すのだそうだ。

冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子
冷凍マグロの解体の様子

柴原さんが言葉を添える。
「マグロの解体といえば生マグロが有名ですが、冷凍マグロにも奥深い職人の世界があるのです。時に大人の背丈を凌駕する200kgのマグロを、いとも簡単に持ち上げて、ひと息で真っ二つにする技術は、見ていても圧巻です。こうした作業が、鮨になったときのマグロのきめ細やかな味わいや見た目の美しさにつながるのです」

冷凍マグロの解体の様子

次回は、冷凍マグロの世界から考えるマグロの将来についてを語って、締めくくろう。

――つづく。

文:中原一歩 写真:鵜澤昭彦

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中原 一歩(ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。