マグロをめぐる冒険。
マグロ仲卸「石司」に遠洋漁船の名が掛かる|冷凍マグロ最前線①

マグロ仲卸「石司」に遠洋漁船の名が掛かる|冷凍マグロ最前線①

日本近海の本マグロは絶滅危惧種に指定され、全国のマグロの水揚げ港に割り当てられる漁獲枠が少なくなり、東京の豊洲市場に入荷する本マグロが激減しているという。マグロという資源が減っている今、冷凍マグロを取り巻く状況はどう変わっているのか?

どの船で、どんな漁師が釣ったマグロか。

秋が深まり今年も本格的なマグロの季節を迎えた。
早朝5時。東京中央卸売市場(豊洲市場)のマグロの競り場には、青森の津軽海峡産の「大間(おおま)」や「三厩(みんまや)」で水揚げされた150㎏超の見事なマグロがずらりと並んだ。
丸々と肥えた魚体には風格があり、見るからに旨そうだ。日本近海で獲れた生の本マグロは、その味、価格、大きさから考えても、日本人の味覚の頂点に君臨する希少な高級食材である。

豊洲市場にあるマグロ仲卸「石司」の毎朝の風景。早朝のセリで落とした生のマグロを2人がかり、ときに3人がかりでおろし、一番いい状態で客に渡す。

本連載で紹介してきた仲卸「石司」三代目主人の篠田貴之さんは、数あるマグロの中でも日本近海で獲れた「生」にこだわってきた。魚河岸では、篠田さんのように国産マグロの最高峰だけを仕入れる仲買人を「上物師(じょうものし)」と呼ぶ。
「マグロは鮨の華とも言われ、店の格を決める魚と言われています。あの目の覚めるような赤は、色の少ない鮨屋のカウンターにパッと華を添えるじゃないですか。おいしいことは前提ですが、マグロを握る職人が、どんなマグロを握りたいのか。客の好みを重視して、それになるべく近いマグロを競り落とします。それがプロの仕事だと思っています」

「石司」三代目の篠田貴之さん。日本最高峰のマグロを扱い、なだたる鮨屋からも厚い信頼を集める。

2018年10月、市場が豊洲に移転したのをきっかけに「石司」の店舗は大きく変わった。築地時代は、切り分けたマグロを保存するダンベと呼ばれる冷蔵庫と、大きなまな板台しかない間口三間の手狭な店だった。
しかし、移転後の豊洲では店舗の面積をおよそ3倍の広さにした。店内は明るく、内装は細部にまで意匠を凝らした。店の奥には商談ができるテーブルがあり、豊洲に視察にやってくる漁師と、毎日、仕入れにやってくる料理人、そして魚を目利きする仲買人の交流の場となっている。
とくにこだわったのが、正面の壁に掲げた木札である。そこには、取引のある全国のマグロ漁船の船名が書かれていた。

築地市場の時代に比べ、広く美しく変わった豊洲市場の「石司」の店舗。商談をしたり、客がひと息つけるスペースがあるのは、仲卸では稀有。
店頭には信頼を寄せるマグロ漁船の木札が掲げられており、遠洋を漁場とするマグロ漁船の船名も並ぶ。

「ここ数年はメディアの影響もあって、マグロの産地ばかりが注目されています。けれども、ブランドとして名高い『大間』だからいいわけではない。同じ大間で獲れた魚でも、血抜きや神経締め、冷やし込みなどの処理が品質を大きく左右します。つまり、同じ大間のマグロでもどの船でどんな漁師が釣った魚かをこれまで以上に重要視したいと思っています。だからこそ、全国の港を訪ね歩くなどして、これぞ、という船の名前をこうして店に掲げるようになったのです」

「石司」が冷凍も扱うようになった。

もうひとつ大きく変わったことがあった。
これまで近海の「生」を厳選して扱ってきた「石司」が、遠洋で日本船が漁獲した天然本マグロの「冷凍」を扱うようになったのだ。
店には冷凍本マグロを扱うスペースが設けられ、専用のガラスケースには、アイルランド沖・北太平洋で獲れた冷凍の本マグロの腹のスライスが飾られていた。

そして、あの壁の木札には、国産の「生」を扱う船に混じって、アイルランド沖やオーストラリア沖などを漁場とする日本船の名前が、ずらりと張り出されていたのだ。

なぜ、生にこだわって商売をしてきた「石司」が、冷凍の本マグロを扱うようになったのか――。

専用のガラスケース

――つづく。

文:中原一歩 写真:鵜澤昭彦

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。