丁寧に手をかけた手づくりの酒肴盛り合わせで、駆け付けのビールを。次は、ご主人が豊洲市場で仕入れてくる刺身をいただきます。いつの間にかカウンターは満席。上機嫌の笑顔が並びます。
本日の刺身の盛り合わせは、マグロ、カツオ、シロイカ、スミイカ、タコ、コハダ、それに加えてイサキとアジの漬け。
これまたちょっとずつがぎゅっと盛り込んである。
この店で飲むときにいつも思うことだけれど、刺身が上等だ。魚種としては珍しくもない魚だけれど、どれを口にしても、うまいなあとため息が出る。一度案内したことのある、海釣りに詳しい人は、「ネタもいいけれど、熟成のさせ方も素晴らしいね」と語ったものだ。
八っつぁんは、他所では食べたことがないという、アジの漬けに目を開かれた模様。
「これも、うちでやってみようかな」
と、料理モードに入っている。
気が付けば、店内、満席。2階には座敷もあるけれど、今日は2階の利用はない模様。1階のカウンターにずらりと並ぶお客さんたちは、みなさん、こちらのお馴染みさんのようで、にこやかに、そしておいしそうに食べ、飲んでいる。
中にふらりと来られた女性のひとり客もあり、店主の中川尚さんと軽妙に言葉を交わしながら、おつまみから、酒、おでんと、小気味よく時間を過ごし、きれいに去って行った。恰好のいい女の人だなあ、と思っていると、居合わせたお客さんも同感だったようで、
「小股の切れ上がったって、いうんだろうね」
などと、絶妙の人物評をするのだ。小股切れ上がった、とは、膝から腿へかけてすらりとした脚のことを直接的には指すようだが、ここでは、きりっとした小粋な女、という理解でいいだろう。実際、そういう感じの女性が好きな酒を自分の適量だけ飲んでさっと席を立つ姿なんてものは、なかなか見られるものじゃない。そんなところにも、「なか川」という店の下町らしさを感じることもできます。
酒が進む。2合徳利を1本、また1本と追加して、スジコの粕漬けを頼めば、ますます酒は止まらない。お由美さん、おでん鍋を覗き込んで、あれこれ、説明を受ける。
「豆腐、がんも、シイタケ、バクダン、タマゴ、ネギマ、湯葉、トウガン、タマネギ、ワカメ、シラタキ、白子、キャベツ巻きにエビイモ……」
鍋の中を調べつつ、中川さんがタネを数えあげ、そのそばから、それぞれ、好みのものをいう。ちなみに私は、白子、ワカメ、シイタケをいただく。この汁が、また、最高のつまみになるから、際限がなくなってしまう。そいうことで、また徳利を頼む。
八っつぁんとお由美さんには締めの一品、「かけめし」をお薦めする。
ご飯に、マグロの頭の漬けをのせ、ゴマをふり、ワサビをのせ、ちぎった海苔と三つ葉をぱらりと落とし、そこに、おでんつゆをかけたものだ。
添えられる香の物の小皿には、提供する直前に中川さんが掻いたかつお節が、ぱらりとかかっている。
創業から28年になる、神田の小さな店。若い人たちも、思い切って暖簾を潜るなら、これまで知らなかった世界が広がること、請け合います。
大人たちのおいしい時間、この秋、ぜひ体験してみてください。
――東京・神田「なか川」(後篇) 了
文:大竹聡 イラスト:信濃八太郎