高架下の小さな飲み屋。秋も深まり、うっすら寒い風が吹く頃、年季の入った銅鍋から立ち上るおでんの湯気が手招きします。多彩な惣菜やいい按配の刺身も心を浮き立たせます。
JR神田駅。東北新幹線の高架下は、小さな飲み屋の並ぶ、魅惑のスポットです。
そこに、一軒のおでん屋がある。いつも、シブい暖簾がかかっている。店名は「なか川」。L字のカウンターの、その角に、銅製の鍋が設えてあり、おでんのタネが浮きつ沈みつ、あたりに、いい匂いが立ち込める。
「はい、いらっしゃい!」
大きな瞳を和ませ、抜群の笑顔をつくるご主人の中川尚さんは、小柄だが、精悍(せいかん)である。70代半ばの現役バリバリ。毎朝豊洲へ通い、いいネタを仕入れてくる。
おでん屋なのだけれど、酒肴の揃えが素晴らしい。カウンターの小皿には毎日、中川さんが考案し、手づくりする酒肴が並ぶ。カウンターにつき、ビールを頼み、まずは、これらの品々を一式、少しずつ取り分けてもらうのが、この店での楽しみの始まりだ。
さて、今日は何があるのかな……。
こういうとき、遠慮せずに、訊いてみるのが正解だ。
「今日はね」
と言いながら、向かって右端の皿を指し、中川さんが、トントントンとテンポよく、説明してくれる。
「タケノコ、ミョウガとオクラ、ヤナギガレイの揚げたの、それから、万願寺唐辛子、アナゴを昆布で巻いて煮たの、切り干し大根、これはね、ワカメの炙り、次がマグロとゼンマイの煮たの、隣が新ショウガで、これも煮てみたの、最後がミョウガの梅酢漬け」
訪れたのは10月の初旬だが、タケノコがある。太っとい切り干し大根もうまそうだし、ショウガ煮で日本酒もいいぞ……。
あれこれ考えるうち、
「すみません、一式、ちょっとずつください」
「はい、ちょっとずつね」
中川さんの手が皿の上を一巡すると、惣菜の盛り合わせとなった皿は、なんとも贅沢な見栄えとなった。
思ったとおり、タケノコがやたらとうまい。
「これはね、野菜を取り寄せている鳥取の農場で、春に採ったタケノコを湯がいてから氷温で保存しているんです」
なるほど。カチカチに凍らせてないから、この歯ごたえ、この新鮮さが保たれているのだな……。秋のタケノコ煮のおいしさに早くも前のめりになりながら、アナゴにも手を伸ばして、驚いた。
「これはまた、うまいですね。アナゴですよね。どうやってつくるんですか」
いかにも図々しいが、訊かずにおれない。
「アナゴの柵をぶつ切りにして、熱湯でさっと湯がいて、薄い昆布で巻くんですよ」
「昆布ですか」
「バッテラっていう、薄い昆布。で、後は甘辛に煮るだけ」
「真似してみたいですね、できないんでしょうけど」
隣で飲んでいる絵描きの八っつぁんも感嘆している。
では次に、ワカメの炙りをいただく。パリパリとした食感と香ばしさ、海藻の匂い。ああ、これこれ、こういうの、喰いたかったんだと膝を打ちたい1品が出て、2本目のビールを早くも片づけて、日本酒をもらう。
「燗酒を2合ください」
こちらの定番は「白鷹」の上撰。「田中農場」という旨味の深い純米酒もあるが、私は、ここで燗をつけてもらうなら、「白鷹」がうまいと思っている。高価な酒ではないが、私にはこれが充分にうまい。
最初に頼んでいたスミイカも出てきた。これも抜群、酒がすいすいと入っていく。
よろず取り仕切りのお由美さん、この日はちょいと出遅れたが、この頃になって息せき切ってやってきた。
これを機に、刺身を盛り合わせてもらうことにしようか。
――東京・神田「なか川」(後篇)につづく。
文:大竹聡 イラスト:信濃八太郎