作家・大竹聡さんによる「20代に教えたい」酒場案内も今回で最終回。12軒目、取りを飾るのは、選りすぐりのバー「カエサリオン」。珠玉のカクテルに酔い、このバーにゆかりの深いイラストレーター、安西水丸さんが愛したカクテルで夜を〆くくります。
そうこうしているうちに、お客さんがカウンターに次々にやってくる。
ウイスキーのソーダ割りの男性と、バラライカの女性のカップルがいる。バラライカというのは、ウォッカをベースにホワイトキュラソーとレモンジュースでつくるショートカクテル。私の手元の酒と、構造は同じで、スピリッツがベースで、そこにシャルトリューズと同じ分類に属するホワイトキュラソーというリキュールを加え、レモン果汁を足してシェークしている。
はたまた、おひとりで来られたお客さんは、椅子に座るとすぐ、マティーニを注文した。その姿がシブイ。酒の味をよく知る人たちの多い店であることが、よくわかる。
3杯目にしましょうか。私は、ロブロイをもらう。田中さんはこれを、ホワイト&マッカイというスコッチウイスキーをベースにして、チンザノロッソというスイートベルモットとアンゴスチュラビターズを加えてチェリーを添えた。
見た目も美しいこのカクテル。
甘く、そして深く、不思議なことに、強い酒なのにスルリと飲めてしまう。
八っつぁんは、薬草系リキュール、ウンダーベルグのソーダ割りを試してみることにした。
そしてお由美さんは、サイドカーだ。
これは、さきほどのバラライカのベースであるウォッカをブランデーに変えたもの。構造は同じだが、趣はがらりと変わる。ひと口飲んで、お由美さんも驚いたようですよ。
「甘みがシャープですね。すごくおいしいです。きりっと冷えていて」
実はこのグラスは、カクテルグラスより大きいシャンパングラス。目一杯注ぐと120ml入るところに、80mlから100mlを目安にカクテルをつくる。通常のカクテルが60mlであることに比べると、量は多いのだ。マスターの田中利明さんは、こんなふうに解説してくれた。
「シェークでもステアでも、量をたっぷりにすると、酒のコシを保つことができます。昔の酒に比べて今の酒にはコシがない。だから、酒に対して氷の量が多いと、冷たくはなってもコシがなくなってしまう。それを持続させるために、量は多めにして、つくる過程でも冷やしすぎないようにしています」
なるほどなあ。
解説されてみると、たしかにそんな気もしてくる。酒を熟知しているプロの言葉だけに、常日頃、ただ酔っぱらっているだけのこちらとしては、ありがたいとしか言いようがない。
イラストレーターの故安西水丸氏はかつて、田中さんを評して「混ぜ上手だよね」と言った。安西さんとは、仕事を通じてほんの少しばかりのお付き合いをいただいたのだが、この店で姿を見かけることがあった。そんなときに漏らしたひと言だったと記憶する。
そして安西さんは、八っつぁんのイラストの師匠なのだ。私はこの連載が始まるまでこのことを知らなかったのだが、知った以上は、いつか一緒に安西さんの愛した酒場で一緒に飲みたいと思っていた。
その希望が叶ったこの晩、田中さんの「混ぜ上手」ぶりをじっくり楽しみたいと考えた。私の次なる1杯はずばり、マティーニ。お由美さんと八っつぁんは、田中さんがもっとも研究したというジンフィズを注文。3人とも、すっかり勢いがついてきた。
マティーニも素晴らしいのだが、ここでも、お由美さんの感嘆の言葉が印象に残った。
田中さんのジンフィズは、ふわりとして軽く、甘く、すっきりと仕上がる。材料は、ジンとレモンジュースと上白糖とソーダのみ。このシンプルな1杯に、田中さんはカクテルの要素のすべてが入っていると言う。
「レモンを搾るにしても、汁が出るだけではダメなんです。それを混ぜてもシェークしたときに空気が絡まない。レモンの甘皮まですりつぶすことによって粒粒が残り、その粒粒がジンと混ざるときに空気をまとい、ふわりとした仕上がりになるんですね」
唸りたくなるような話ですね。この店の、田中さんのジンフィズがなぜうまいか。舌で味わい、言葉で想像し、その奥深さに、思わずにやりとする。そんな楽しみこそ、バーで飲む楽しみ。これほど愉快な時間は、なかなか、ないものです。
最後の1杯にしましょう。ここは迷わず、安西水丸さんの愛したギムレットいただきます。
「安西さんは葉巻を吸いながら飲みましたので、葉巻に合わせて、少し甘めにしています」
水丸さんレシピのギムレットは私も何度か味わった。甘くて、うまい。ドライ一辺倒に傾いたギムレットというよりは、昔ながらのオールドスタイルに近い。大ぶりなシェーカーでガンガン冷やすのではなく、あくまでほどよく、冷たくしすぎないことによってよく伸びる、絶品のギムレットが、これだ。
3人で同じものを飲む。みんなでため息をつく。うまい。そして、少しばかり酔ってきた。
若い人に、言いましょう。こういう店があるのです。街の宝です。
少しばかりのお金をもって、扉を開け、静かに2,3杯飲んできちんと支払えば、あなたも立派な客だ。プロの言葉と技を、一緒に楽しみましょう。
――シリーズ : 大竹聡さんの「20代に教えたい」酒場案内。
東京・代々木上原「カエサリオン」 了
文:大竹聡 イラスト:信濃八太郎