作家・大竹聡さんによる「20代に教えたい」酒場案内の12軒目は、この連載最後となる酒場紹介です。酒場案内に不可欠の、バーです。その中でも選りすぐり1軒へとお連れいたしましょう。
居酒屋、小料理、焼肉、そば、寿司にもつ焼き、おでんに鳥すきなどなど、思いつくまま、好きな店をご案内してきましたこのシリーズ「『20代に教えたい』酒場案内。」も、今回で12回。ひとまずの締めということになりました。
お伝えしたい店、ご案内したい味は山ほどあるが、そこはほら、いろんな事情もあるらしく、いったんお別れ、淋しい限りです。
で、今回ご案内したいと思ったのは、酒場案内に不可欠の、バーです。バーだけでもご案内したい店の50や100はすぐに見つかりますが、今回は、その中から選りすぐり1軒。代々木上原の「カエサリオン」にお連れいたしましょう。同行はいつものように絵描きの八っつぁんと、よろず取り仕切りのお由美さんだ。
店は1993年の開業から今年で27年。オーナーバーテンダーの田中利明さんは、私と同年代ということもあり、気安く通わせてもらってきたが、ここは名店ですよ。
カウンター1本。BGMはなし。ザ・酒場という感じの店内で、昔の調剤師を思わせる白いバージャケットに身を包んだ田中さんが、柔和なよく通る声で迎えてくれる。
まずは、何からいこうか。私は個人的にバーでの最初の1杯をジンリッキーにすることが多いが、こちらの店ではジントニック、あるいはジンフィズにすることがある。ほんのりとした甘味やふわりと柔らかい口当たり、それでいてすっきりとした飲み口が、実は店の扉を開ける前から、頭の中に浮かんでいるからなのです。
「ジントニックから、お願いします」
すっと出たひと言に、八っつぁん、お由美さんも同調する。
そして、出てきた1杯を飲んで、ああ、おいしい、というひと言がふたりの口から出たのを聞いた。そうそう、私もまったく同じ感想ですよと、嬉しくなって、また、ひと口飲む。
「普通のジントニックよりは、少しライムの量が多いです」
マイルドな飲み口の理由を聞くと、田中さんはこう答えた。どんなことを聞いても、その疑問に躊躇なく答える。これくらいのベテランになると、答えるべき内容はすべて頭の中で整理できているから、迷いはないのだ。
最近のお客さんの傾向を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「昔のように酒場に連れてくる先輩がいないから、バーでの遊び方はよく知らない。けれど、酒を飲まない人が多い中でうちを見つけてくる若い人たちは、お好きな方が多いですね。今はカウンターの内側に何でも聞けるお兄さんを求めているような感じですが、飲み慣れていけば、バーテンダーという職人の仕事の流れを読み、ツボを押さえて注文もできるようになる。これからが楽しみです」
心強いじゃありませんか。私らの頃には嫌と言っても先輩に引き連れられて、酒と酒場を教えられたものです。奢ってもらい、教えてもらうかわりに、今日はちょっと、とか、途中で先に帰りたいとか、そういうことが許されるはずもなかった。
あれはあれで、いいところもあったとは思いますが、田中さんの話を聞いていて、今の若い人たちのほうが格段にスマートだなと思いましたね。それはさておき。
さて、早くも2杯目に参りましょう。同行のふたりは、また、私と同じものをと考えているようです。そこで、最近覚えたばかりのおいしいヤツを頼みたくなった。
「ジンとシャルトリューズと柑橘でお願いします」
ジントニックのベースのジンの銘柄はビーフィーターでしたが、田中さんは次のカクテルのベースは、ゴードンジンを使うようです。そこにシャルトリューズのグリーンのボトル。シャルトリューズというのは17世紀の初頭にフランスの修道院で生まれた薬草系のリキュールで、田中さんは、ジンとシャルトリューズにライムの果汁を加えてシェークし、カクテルグラスに注いでくれた。
「スプリング・フィーリングです」
ああ、これこれ。これのレモン果汁入りを先般試したばかりで、田中さんはライム版とでもいうべき、アレンジしたカクテルをつくってくれた。1杯目のジントニックから、ジンとライムの風味は継続されているからこそ、シャルトリューズの特徴的な風味が際立つ。またまた、ため息の出るような味わいです。
――東京・代々木上原「カエサリオン」(後編)へつづく。
文:大竹聡 イラスト:信濃八太郎