東京にビルがにょきにょきと立ち並んでから、100年も経ってない。人類の歴史から見れば、ぽっと出。考えてみれば、古い建物の方が新しい建物よりも、東京のことをよく知っているんだからね。先輩には敬意を払わなければいけないのに、新しい方をありがたがる傾向は如何なものかしら。びゅんびゅんと車で走っていたら、見えない。スマホを見ながら歩いていたら、気づかない。
昭和の懐かしい景色と味を巡る、という後ろ向きなシリーズである。いい店はないかな、とネットの“森”の中をうろうろしていたら、ある店の画像が現れ、ぎょっとした。本物か?と思った。まるで戦後のセットだ。当時の様子を完璧に再現、といった風情で佇んでいる。
どこにあるんだろう?……え、神田?都心部じゃないか。こりゃメディアがほっとかないだろうなあ。検索すると、記事が複数見つかった。
センエツながら、このシリーズに書かせてもらう“麵店”は、あまり知られていない店がいいと思っている。せっかく自転車で、この広い大海――東京を自由にこぎまわって“宝探し”をやっているのだ。
じゃあネットで見つけた時点でダメじゃないか。そのとおり。だけど、前回のことがある。昭和レトロ店の大ボス、日本橋「大勝軒」に行こうと思ったら2ヶ月前に閉店していたのだ。
戦後の高度成長期からだと60余年、店舗の老朽化に後継者不足、さらには令和の改元。ここでひと区切り。そう考える店主がいても不思議じゃない。実際、古い店がどんどんなくなっている。悠長なことは言っていられない。延長戦になったらいい投手から使え。行きたい店から行っておけ。
ということで、夏の終わりの晴れた朝、阿佐ヶ谷の自宅を出た。
いつもどおりコンパスを頼りに走る。神田は、東だ。
先日、20代の編集者と飲んだとき、「えっ、ほんとにスマホ持っていないんですか?」と驚かれた。スマホなしでどうやって目的地に着くの?という感覚らしい。ひそかにスマホを使っているだろうけど、そこは触れてはいけない、などと考えていたようだ。いえいえ、ありのままを書いてますよ。スマホは今後も持つ気なし。意固地になっているんじゃなく、単に読書タイムを奪われたくないから。
青梅街道を行けば一直線だが、それだと単なる移動になってしまう。自転車旅の美点は、すぐに停まれるところだ。道中は発見に満ちている。
阿佐ヶ谷駅の先に、見慣れない小路があった。入っていくと、古い建物がぽつぽつ立っている。初めて見る景色だ。こんな味のある通りがまだあったんだなあ。まるでパラレルワールドだ。自分の町に異世界が広がっている。
14年前に阿佐ヶ谷に住み始めたとき、偶然、同じ町に友人が住んでいることがわかり、その家に遊びにいったことがあった。歩いて5分ほどの距離だった。深夜、彼の家を出て、帰途についたら、道に迷った。タクシードライバー泣かせの迷路のような町だ。行けども行けども見知らぬ景色が広がり、本当にパラレルワールドに迷い込んだようだった。最初は楽しかった。歩き始めて30分を過ぎると「もう勘弁して」と思った。さらに1時間ほど歩いてようやく見覚えのある通りを見つけ、ホッとしながらその道をたどると……はい、オチが見えましたね。そう、友人の家に着いたのだ。
おや、銭湯だ。これも初めて見るなあ。壁に隠れているけど、建物自体は相当古そうだ。
そのまま通り過ぎようとしたら、えっ?とブレーキをかけた。
屋根が凸型に膨らんだ“むくり屋根”だ。珍しい(凹型に“反り”の入った屋根は寺や神社によくあるけれど)。
東京の古い銭湯は唐破風が多い。極楽浄土の入口を表しているそうだが、江戸っ子の見栄っ張りも関係しているのだろう。このむくり屋根もそう。コストをかけ、風呂とは直接関係のない意匠を凝らす。粋だなあと思う。
高円寺の商店街に出た。あれ?「七ツ森」だ。このシリーズで前に入った喫茶店だ。こんなところに出るんだ。
再び見知らぬ道に入り、“さまよいごっこ”を再開する。
寺だらけの地区があった。曹洞宗の寺ばかり、なんと6軒も並んでいる。
案内板によると、どの寺も都心部の区画整理で明治・大正期に移転されてきたものらしい。となると、古くても築100年程度か。建物にあまり惹かれないのは築年数が浅いせいかもしれない。
思えば不思議なものだ。店や民家は50年ぐらいでも味が出るのに、寺がそうなるのには300年ぐらいかかる。
ただ、ここの寺はどこも庭木が立派だった。
おっと、急がねば。例の店は人気店だ。混む前に入りたい。
ぐんぐん飛ばす。広めの道路に出た。おや、地方の商店街みたいだ。
田舎者の僕にとって、東京には洗練された都会のイメージしかなかったけれど、そんなのは東京のごく一部で、大半は素朴なエリアの寄り集まりなのだ。
細い道を縫うように走る。新宿の高層ビル群がだんだん近づいてくる。
彷徨をやめ、大久保通りに出た。コリアンタウンを見ていこうと思ったのだ。いつもは祭りのような賑わいだが、戦後最悪と言われる日韓関係のいま、町はどうなっているだろう。
おお、本当に人がまばらだ。やっぱりこうなるのか。……いや、待てよ。いまは朝の10時前だ。人出が少なくて当たり前じゃん。そっか。もっと早い時間なら、もっと“意図的”な写真が撮れるんだな(実際、人出は減っているらしいけど)。
そこから小路に入ってしばらくさまようと、大きな通りに出た。靖国通りだ。これを行けば靖国神社だろう。僕はまだ行ったことも見たこともない。
韓国人の友人が昔、自転車で日本一周をした際、韓国と日本の国旗を立てて走ったそうだが、東京に入ってから前方に靖国神社が見え、気勢を上げている団体がいたので、慌てて韓国の旗だけしまったらしい。
その靖国通りを東進する。
小高い丘が現れ、目をむいた。巨大な建物が並び、丘全体が要塞みたいだ。防衛省庁舎だ。そっちに気を取られて赤信号で進んでしまい、笛が鳴った。
「信号赤ですよ!」
警備の男性に怒鳴られた。庁舎の写真を撮ろうと思ったけど、そんなことをしたらもっと怒られそうだ。そそくさとそこを立ち去った。
そのすぐ先に靖国神社があった。時間がないから写真だけ撮って先を急ぐ。
さらに靖国通りを東進すると、淡路町駅に着いた。例の店はこの近くだ。ここで初めて地図を凝視し、店の住所と照らし合わせ、その地点に向かう。わけもない。昔は誰でもこうして目的地を目指したのだよ、若手編集者くん。
古い店がちらほらとあった。
都心部でも目を凝らせば、点々と“お宝”が残っているんだよなあ。とはいえ、基本的に無機質なビル街だ。画像で目にした、あんな奇跡のような店が本当にあるのだろうか?
……あった。
意外にも画像で見るより実際のほうが違和感はなかった。まわりの空気に不思議と溶け込んでいる。
さあ、どんな世界、どんな味が待っているのだろう。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ