わざわざ壊してまで、新しく建てなくてもいいような気もするけれど、そうも言ってられないんでしょうね、特に東京は。昔ながらの存在を、現代風に生まれ変える魔法の言葉――再開発。日本橋の「大勝軒」は魔力にかからず、閉店です。
豪徳寺の「丸長」を出ると、夕暮れの気配が迫っていた。
なんだか、まだ旅を終えられない気分だった。
旅には、衝動がいる。自分を動かす何か。それが今回は、日本橋の「大勝軒」だった。でも2ヶ月前に閉店したという“噂”をネットで知って愕然とした。そのまま次の候補地をネットで探し、豪徳寺の「満来」を見つけたのだが、いざ来てみると、これまたネットの“噂”どおり、閉まっていた。
そうしてたどり着いた「丸長」。ラーメンが450円という安さで、満足度も高く、地元の人たちの営みにも触れ、ほっこりしたが、僕の中で何かやり残している感じがあった。
「満来」が、“噂”どおり閉まっていたときの、落胆。でも、現地まで自分の足で赴き、己の目で確かめたことへの、納得。
見上げると、空一面に垂れこめていた雲が、トレース紙のように薄くなって、ピンク色の夕空が広がりつつあった。時計を見る。17時半。
行ってみようか。日本橋の「大勝軒」に――。
「丸長」を出るまで、考えもしなかったことだった。
自宅から南へ、約10㎞走って、豪徳寺。そこから北東に針路を変え、東京の中心部を突っ切って、約15㎞先の日本橋へ――バカみたいなルートだ。時間も遅い。でも急げば、暗くなる前に着けるかもしれない。
行ったところで、閉まっているのだ。でも、それでもいい。昭和8年創業の、昭和レトロ店の大ボスのような、あのビルを見ておきたい。もし、東京五輪に合わせた再開発が閉店の一因なら、ビルが取り壊されるのも時間の問題だ。そうなる前に、現地に行って、この目で見て、己に納得したかった。
東に向かってペダルをこいだ。西日に染まった建物が、進行方向に並んでいる。
ある建物に目が吸い寄せられ、ブレーキをかけた。古びたビリヤード場だ。中を覗きたくなったが、そんなことをしている場合じゃない!と慌てて走りだす。
淡島通りを走り抜けて渋谷へ。六本木には近寄りたくもないので、青山通りを行く。
明治神宮外苑で再び急ブレーキをかけた。すごい並木だ。糸杉かな……いや、銀杏だ。その奥には重厚な石造りのドーム。計算され尽くしている。広大な空間アートだ。それにしても、この不思議な見え方はなんだろう?
ああ、なるほど。手前の木が高く、奥に行くほど低くなっているんだ。遠近法を強調しているのか。
さらに東進すると、皇居のある江戸城跡に出た。お堀の向こうでビル群が金色に染まっている。マジックアワーとはよく言ったものだ……そっか、帰りたくなかったのは、この時間だからだな。
ジョギング族が鮭の遡上のように走っていた。その流れに乗って、僕も桜田門をくぐる。
東京駅を過ぎると、日本橋が見えた。映画『三丁目の夕日』でもシンボルとして扱われていた街灯が灯っていた。昼間は大仰な街灯が、夕景には合う。
「大勝軒」の最寄り駅は三越前駅だ。それさえわかれば行けるだろう、と思っていたが、駅周辺はビルが立ち並ぶ深いジャングルで、1軒のビルを探すのも骨だった。そもそもこんな都会的なところに、あんな古ぼけたビルがあるのかな。そう思いながら路地をひと筋ずつつぶしていく。どんどん暗くなってくる。ヤバいなあ。写真が撮れなくなるなあ。
細い路地が目に留まった。小さな建物が密集している。入っていくと、現れた。
よかった。まだ取り壊されずに残っていたんだ。
入口には貼り紙がしてあった。ネット内の書き込みは、どこか架空の話のような印象があったが、この貼り紙を見てようやく、「そっか」と実感のようなものが湧いた。僕はバカだから、こうやって確認していくしかないのだ。
やはり再開発が一因らしい。あたりはかつて魚河岸があったところで、古い建物が並んでいた。「大勝軒」の向かいの「鳥萬」という老舗の扉にも貼り紙があった。
《令和元年5月31日をもちまして店仕舞いいたしました》
そのすぐ奥に、家の廊下のように細くて、暗い路地があった。路地の入り口に、蕎麦屋の看板が出ている。こんなところに店があるの?と思いつつ、その路地に入ると、世界が変わった。まるで京都の裏小路だ。魚河岸があった当時は、こういう路地が迷路のように入り組んでいたんだろうな。
店に入ると、こんなにわかりづらい場所なのに客でにぎわっている。大衆的な店だが、窓の格子が凛とした空気を放っていた。
飲みたい気分だった。帰りは自転車を畳んで電車に乗ろう。
ビールとイカメカブを頼む。
ここも常連が多い。女将さんは給仕しながら客と談笑している。機を見て話しかけると、「いえいえ、ウチはとてもとても。『大勝軒』さんみたいに古くありません」と手をブンブン振ってえらく謙遜する。それでも訊くと、創業から40年ほど経っているそうだ。この界隈ではまだまだ若い店ということになるのだろうか。
「こっち側は再開発されないんですか?」
「ええ、向かい側だけですね」
そっか。この風情ある裏小路は残るんだ。いつまでかわからないけど。
店を出て、廊下のように細い路地を潜り抜けると、さっきまでいた少し広い路地に出た。廃ビルと化し、闇に包まれた「大勝軒」が目の前に見える。そのすぐ横では、すでに再開発の工事が進められていて、仮囲いが立っていた。自転車を押しながら歩く。ピカピカの仮囲いには、一定間隔をおいて、町づくりのコンセプトが書かれたパネルが設置されていた。
《このまちがここにあることが、これからの日本の大きな価値になります》
《魚河岸があったまち。趣のある店構えが連なるまちなみにほっとして、ついつい長居してしまいます》
よーく覚えておこう。そして、また見にくるよ。東京五輪後、どうなっているか。
「阿佐ヶ谷住宅」が思い出された。今回の旅の最初に迷い込んだところだ。数年前に再開発が始まったときは激しくがっかりしたが、生まれ変わった場所に行ってみると、意外と悪くなかった。開発を常に改悪だと考えるのは、懐古ジジイの偏見かもしれないのだ。
でもねえ……。どうせできる“まち”というのは、おしゃれなんでしょ。スマートなんでしょ。「満来」の店主のような「ラーメンは200円から値上げできねぇ」といった“不器用”で“粋”な部分、つまり人のかわいい部分は、洗練された新しい“まち”にはあるのかねぇ。
あ、やべ。やっぱ単なる懐古ジジイだ。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ