扉を開けると、そこは異空間だった。町中華の概念を覆す佇まい。料理店として清く正しく美しい姿がそこにはあった。コイン1枚でも愉しめる価格設定に感涙。家族で切り盛りする気持ちのいい接客に感動。丁寧に仕事がなされた料理の数々に満足。この一軒があるだけで、高円寺の住民が羨ましいなぁ。
雑司ヶ谷の「ターキー」のラーメンに惚れ込んだ僕は、その味のルーツかもしれない高円寺の「七面鳥」を訪ねたのだった。
おお、夜はますますいい。さっき夕方来たときより迫力が増している。まるで戦後だ。
中に入ると、目を見張った。なんと白木のカウンターだ。“町の中華屋さん”では珍しい。鮨でも出てきそうだな。
18時前なのに、すでにお客さんが何組かいた。厨房からはカンカンシャーシャーと中華鍋を振る威勢のいい音が聞こえてくる。
ドキドキしながら若い店員さんに、この店に来ることになった経緯を話し、ノーアポであることを詫び、取材させてもらえないか聞いてみた。「いいですよ」と彼はとても人あたりのいい顔で微笑んだ。ほっ。
彼はこの店の三代目で、厨房で中華鍋を振っているのが二代目、彼の父親らしい。ルーツはやはり新宿の「七面鳥」で、そこから暖簾が分かれ、彼の祖父の姉が戦後、成城に「七面鳥」をオープン。次いで彼の祖父が出したのが、こちらの「七面鳥」。いまでは「七面鳥」の名を遺すのは、ここ高円寺だけになった。
雑司ヶ谷の「ターキー」の話をすると、ご存知なかったようで、感心したような表情を浮かべた。
と、一気に書いたが、実際のところ、三代目は次々にやってくる客への対応に忙しく、その合間ゝに、邪魔にならないように聞いたのだ。
客が来るたび、彼は「あ、○○さん」と笑顔で声をかける。地元の人に愛されているんだな、と感じる。長く続くわけだ。創業は昭和34年。外観の迫力は伊達じゃなかった。頭上に巻き上げているすだれはなんだろう。顔を上げてよく見ると、エアコンだった。
白木のカウンターについて聞くと、「えっ?」と耳を疑った。
「このカウンターも創業当時のものですよ」
少しゾクッとした。伐りたてのような艶に、美しい木目。木はまだ生きている――。
あるいは、色もニスも塗らない白木のままのほうが、呼吸ができて木にもいいのかもしれない。
壁のお品書きを見ると、値段も昭和のままだ。
ラーメンが450円かあ。子供の頃に帰ったような気分だ。
ラーメン、炒飯、餃子のド定番極楽3点セットを頼んだ。ビールは自転車だから我慢我慢。いつもだけど。
まずは餃子がきた。いやっほう。
熱々の餃子にかぶりつくと、皮がやぶれて餡があふれ出た。キャベツがザクザクして甘い甘い。包丁切りだろうな。うまいなあ。
続いてラーメンがやってきた。
ナルトがきいてるね。あるとなしじゃ全然違う。そういや、この『麺店ポタリング紀行』で行った店で、ナルトがのっていたのは昭和26年創業の「福壽」だけだった。ここ「七面鳥」も初代は戦後、あるいは戦前だ。ナルトの有無と時代には関連があるのかな。これからちょっと意識して見ていこう。
スープをすするとピッカーンと目の前が光った。ああ、もうただただうまい。香りがいい。考えてみると不思議だよなあ。鶏ガラと豚骨からこんなにいい香りが立つなんて。モチモチした麺もスープの旨味をたっぷり吸っている。
なんだか、ちょっとできすぎた話になるけど、たしかに「ターキー」との共通点を感じるのだ。ラーメンマニアが絶賛するような行列店やニューウェーブ系の店と比べると、塩気が薄く、パンチはない。でも物足りなさはない。旨味と香りが厚いからだ。「ターキー」の店主が子供の頃に、このラーメンを食べて感動し、その味を目指してつくっていけば、あの「ターキー」の味になるだろうな、と想像がつくのである。
などとひとりで納得していると、最後の皿の登場だ。
千切りキャベツかあ。ちょっと珍しい。なんだろう、この心温まる感じ。それに、なんて卵が多いんだ。
食べてみると、やっぱり優しい味なのだ。実家に帰ってホッとするようなうまさがあった。
店の人たちの意識の先にあるのは、いつも食べにきてくれる街の人の笑顔だろう。母が家族を思うように、千切りキャベツを添える。
不特定多数の顔のない人を相手に、塩と脂を濃くして味のインパクトを強め、「ネットで話題→行列店」を目指す店とは、味の質が違って当然なのだ。
客の流れが一瞬止まったのを見計らい、写真を撮らせてもらえないか三代目に聞くと、「いや、僕より父を」と言う。カウンターから厨房の中をのぞくと、二代目も女将さんも最高の笑顔をくれた。ああもう、どの料理もおいしいわけだよ!
3点セットは多いかなと思ったけど、ペロリと完食。ごちそうさま、とてもおいしかったです。お礼を言って外に出ると、入れ替わりにお客が入っていった。背後から三代目の声が聞こえる。
「あ、○○さん」
お腹はパンパンに膨らんでいたけれど、気持ちは弾むように軽かった。さっき見つけたもう一軒の“お宝”に寄って帰ろう。
夜になるとやっぱり現実感が薄れるんだよなあ。宮沢賢治の童話に出てきそうだ。
中に入ると、思わず息をのんだ。
なんて幻想的な空間だろう。高円寺らしく、若者で混み合っている。ほとんどの客がプリンを食べていた。僕もプリンとコーヒーを頼む。
プリンは甘さ控えめで、卵が濃厚に香った。人気店なのもわかるな。
炭焼きコーヒーの香りに酔いながら、店内を見渡した。心が現実世界から抜け出し、空想が広大な世界を泳ぎだす。
店の存在って、やっぱり大きいのだ。街の印象すら変えるのだから。いい街だよ、ここは。さっきの「七面鳥」といい、この喫茶店「七つ森」といい、自分の住む街の隣にこんな素敵な店があるなんて。考えるだけで嬉しくなる。
あれ?「七面鳥」と「七つ森」、どっちも「七」じゃん。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ