江戸前鮨において酢〆の仕事がもっとも冴える鮨種といえば、小肌より他にない。なぜ、煮ても焼いてもさして旨くもない魚が鮨屋では花形なのか?なぜ、小肌の子「新子(しんこ)」がこれほどまで客を熱狂させるのか?
江戸前の鮨を食べに行くことは、もしかすると小肌を食べに行くことかもしれない。そういわしめるほど小肌は旨い。どうして、煮ても焼いても大して旨くもない雑魚が、江戸前の職人仕事に触れた途端に天下の美味に変身するのか。江戸前鮨の真髄は、生魚を切りっぱなしで使うのではなく、「煮る」「蒸す」「〆る」「漬ける」などの手間を施すことで魚の質を保ち、その味を別次元に昇華させることにある。
江戸時代、数ある種の中でも足が早く、鮮度が物をいう「光りもの」は珍重された。
中でも小肌は、「光りものの横綱」「江戸前鮨の代名詞」などと呼ばれていた。 小肌がなければ江戸前鮨の文化はここまで花開かなかったかもしれない、とすら思う。
小肌においては、「新子(しんこ)」は江戸っ子に好まれた。
新子とは小肌の子のことで、「㐂寿司」では、1年を通じて小肌が品書きにあがるが、7月の声を聞くと新子目当ての客がこぞってやってくる。
小肌は一匹で一貫の鮨を握る「丸づけ」が主流だが、一尾が5cmにも満たない立ち上がりの新子は、一貫に対して4匹、5匹を握るのが粋と言われている。
なかには偏屈な人もいて、いや、うちは5枚だ、6枚だ、とさらに数を増やす主人もいる。
「㐂寿司」の小肌はもっぱら2枚づけで、多くても3枚づけだ。
四代目の油井一浩さんにその理由を尋ねると、その方が旨いからと当たり前の答えが返ってきた。
「厳密に大きさを指定して買うことができない新子は、大きいのも小さいのも一緒くたになっています。木の葉のように薄っぺらい魚ですが、それでも脂の乗り具合や身の厚い薄いなど個体差があります。それを均等に包丁でさばいて、塩で〆て、酢に漬け、仕込む。どんなに丁寧にやっても味にばらつきがでます。それを均一にするのが仕事なのですが、やっぱり、食べておいしいのは2枚づけのサイズからだと思います」
7月に出回る新子が、8月にもなると2枚づけでちょうどいい大きさになる。
9月後半に入るとさらに成長し、丸づけのサイズの小肌になる。
つまり、新子の旬は7月、8月、9月の末頃まで。先代の旦那は、本当に旨い小肌は晩秋から冬にかけ、ある程度の大きさになった小肌が旨いと譲らなかった。
多くの鮨職人たちが執着する小肌という鮨種は、その仕込みにもそれぞれの流儀がある。
次回は「㐂寿司」の小肌の仕込みを追いかける。
――明日につづく。
2019年9月15日~9月23日は夏季休業となります。
文:中原一歩 写真:岡本寿