「㐂寿司」の365日。
鮨ツウをときめかせる「㐂寿司」の印籠詰め。

鮨ツウをときめかせる「㐂寿司」の印籠詰め。

酢飯には海苔や干瓢やガリを詰め、ツメを塗って仕上げる。ちょうどよいサイズの小いかを探して丁寧に仕込むことはもとより、自店で手塩にかけてつくる干瓢やツメがなければ成立しない鮨。江戸前の仕事の集約がここにある。

「印籠詰め」はよそではなかなか出会えない、特別な鮨種。

「㐂寿司」のカウンターで「小いかの印籠(いんろう)詰め」を注文している客に遭遇すると、「この人は古い江戸前の鮨が好きなんだな」と、少しばかり嬉しくなってしまう。
数ある「㐂寿司」の鮨種の中でも、こればかりはお決まりの献立には入っていない、わざわざ注文しなければ出会えない特別な鮨種だからだ。

印籠詰めとは、日本料理全般において「材料を詰め込むこと」で、「㐂寿司」においてはいかの胴体に酢飯を詰めたものだ。
使われるのは、ヤリイカの小さめのものを甘辛い煮汁で炊いてつくる「煮いか」だ。
いかの胴体に詰め物をした料理といえば、函館の「いかめし」が有名だが、こちらは生のいかの胴体に生米を詰めて作るので、味わいも食感も趣を異にする。

印籠詰めは「㐂寿司」の季節を通じた定番の種だ。四代目の油井一浩さんは毎朝、市場を歩きながらお目当てのいかを探す。こればかりは特定の仕入先があるわけではなく、市場を隈無く歩いて、煮いかに最適な大きさのいかを探すしかない。

「㐂寿司」四代目の油井一浩さん。店に入ったばかりの頃は、嫌というほどいかの皮剥きしたという。

「印籠詰めに使ういかは、手の平大の大きさのものに限定して探します。これ以上、小さくても大きくてもダメ。産地よりも大きさが重要です。ヤリイカの小ぶりなものが一番ですが、ないときは小さめの白イカを使うこともあります」

丁寧な皮剥きが、絶妙な食感を生む。

江戸前鮨の世界でいかといえば、歯切れの良いスミイカが定番だ。
しかし、同じいかでも、こちらは見てくれが悪く、でっぷりとしている上、熱を加えると固くなるので煮いかには使わない。 煮いかに使ういかの仕込みは店でもっとも若い職人の仕事だという。

いかは煮る前に胴体から内臓を取り出し、同時にいかの表面を覆う薄皮を剥いて準備する。しかし、ここから単純ながら非常に神経を使う作業が続く。
「表面の薄皮を剥いでも、いかの皮は何枚も、何枚も何重にも重なっているのです。小さないかの身は柔らかく、滑りやすいので、布巾を使って、慎重に皮を取り除いていきます。いかの皮はいつまでも剥けるのでキリがありませんが、 ここである程度、取り除いておかないと、口に入れた時の食感が悪くなってしまいます」

いかの処理
いかの種類は数多あれど、ヤリイカは大きさ、見目もよく、好んで使ういかだという。
いかの処理
外側の皮を剥く。
いかの処理
つるんと可憐な身が現れた。
いかの処理
ゲソも丁寧に洗って下処理をする。
いかの処理
銅とゲソとをわけておく。ゲソは格別の酒肴になるのだ。
いかの処理
布巾を使って、慎重に皮を取り除いていく。

一浩さんは若い頃、父親である大旦那にこの煮いかの下ごしらえを言いつけられ、朝からずっといかの皮を剥いていたと苦笑いする。
「駆け出しの頃なので仕方がありませんが、ずっといかの皮を剥かされました。剥いても、剥いても、やり直し。いい加減、いかを見るのも嫌になったこともあります」

一浩さん

ほんのり味をつけながら、火を入れていく。

こうして下処理が施されたいかは醤油を主体に酒と水と砂糖を合わせたつゆで煮ていく。味醂を使わないのは、身が硬くなるのを防ぐためだ。
煮るといっても熱の加えすぎは禁物。それでいて半生ではカウンターに常備できないので、その加減が難しい。
煮汁が沸騰して、およそ2分から3分。全体に、ほんのり甘辛い風味がついたら引き上げる。煮汁の色こそ濃いが、穴子同様に白く煮あげるのが店の身上だ。ゲソの部分も同様に火を入れる。

いかを煮る
いかを煮る
いかを煮る
煮いか
煮上げたばかりのヤリイカ。色も味付けも、ほんのり品のよい具合。

煮上がったいかは、粗熱をとって常備する。お酒が好きな人にとっては、この煮いかが最高のツマミとなる。特にゲソの部分は、コリコリとしていて、噛むほどにいかの旨味が溢れる。若いいかならではの儚さがいい。

煮いかの小鉢
こちらは銅部分のツマミ。ツメを軽く回し、わさびを添えて。

酢飯には干瓢、ガリ、海苔。そして柚子の香りを忍ばせる。

印籠詰めに使う酢飯もひと工夫されている。酢飯に細かく刻んだ干瓢、ガリ、海苔を混ぜて、具入りの酢飯をつくるのだ。

印籠詰めをつくる
下ろしたての柚子を酢飯にまとわせる。
印籠詰めをつくる
海苔、細かく切った干瓢を混ぜる。
印籠詰めをつくる
同じく細かく切った干瓢を加える。
印籠詰めをつくる
よく混ぜ合わせる。
印籠詰めをつくる
いかの胴体に詰めていく。

これを形の良い煮いかの胴体にたっぷり詰める。
そして、食べやすい大きさに切って、「㐂寿司」自慢のツメで供する。弾力がありながらも柔らかいいかの食感と、いろいろな具の味が渾然一体となった酢飯の取り合わせが秀逸だ。
酢飯に忍ばせた柚子がプンッと香り立つ。

印籠詰めをつくる
印籠詰めをつくる
印籠詰めをつくる

煮いかはそのまま握っても旨い。こちらも、握り鮨というものが誕生した当時から握られ続けている伝統の種だ。
「いわゆる創作と呼ばれる、新しい鮨種を出す店が増えていますが、だからこそ、こうした古い仕事が新鮮に見えるんです。これも、干瓢がなければ、ツメがなければ、つくることができない。古い仕事の継続の上にしか成り立たないのです。『㐂寿司』の初代から伝わる伝統の印籠詰めは、これからも大事にしていきたいと思っています」

煮いかの握り

店舗情報店舗情報

㐂寿司
  • 【住所】東京都中央区日本橋人形町2-7-13
  • 【電話番号】03-3666-1682
  • 【営業時間】11:45〜14:30、17:00〜21:30
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「人形町駅」より2分

文:中原一歩 写真:岡本寿

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。