異色の経歴を持つ店主の桃太郎、あるいはラオウこと、井島秋三さん。彼についてまわり、味の源である水から始まって、麺、そして食材と、うまさの軌跡を追いかけてきた。その旅の終わりに見えたものは、彼の前方に果てしなく広がる、麺の大海原だった。最終回!
うどん屋「駕籠休み」店主の井島秋三さんは見上げるほどの大男で、ギョッとするような大声で話す。すごい迫力だ。『北斗の拳』のラオウを彷彿させる。
そんな井島さんと市場を巡って、うっすらと見えてきたことがある。「駕籠休み」の異常に高いコストパフォーマンスは、市場の人によっても支えられており、その背景にあるのは、ラオウの哲学(客に得をさせる)への賛同と、ラオウの力学(お前もう少し安くしろよ)に対する畏怖、いや、理解のようだということ。そこは深く追求しないことにして、井島さんに付いて店に戻った。
開店の10時を待って、再びうどんをいただいたのだが、なるほどなあ、としみじみ思った。山の水を汲むところから、粉選び、麺打ち、市場での食材購入まで、井島さんのあとを金魚の糞のようについてまわり、それぞれの行動の意図や根拠を聞いたあとで食べると、やはり違うのだ。清水に磨かれた小麦粉の旨味、出汁の香り、麺のしなやかさと強靭なコシなど、味がよりきめ細やかに感じられる。何も知らずに食べて、ただ「おいしい」だけでももちろんいいけど、知って食べれば、より染み渡る。ありがたいなと思う。何より、おもしろい。
「これも食べてみろ」
井島さんに勧められ、「寿寿麺(じゅじゅめん)」というのを食べてみた。……あれ、この香り?
「蕎麦粉入っているんですか?」
「そう。蕎麦ってちょっと置いとくとすぐにのびるだろ。そうならないように研究を重ねてつくったんだよ」
初めて経験する味だった。蕎麦ともうどんとも違う。シコシコした食感に、蕎麦の甘い香りと、小麦粉のふっくらした旨味が同居している。ああ、そういえば、蕎麦に入れる小麦粉って、ほぼ“つなぎ”の役割だけだよな。この寿寿麺は、蕎麦粉と小麦粉の両方のおいしいところが詰まっている。
「俺はどんな麺でもつくれるんだよ。全部自分でやってきただろ。店を出すまでに5年間、夜もろくすっぽ寝ずに麺打ちの特訓をして、数えきれないくらい失敗したよ。失敗して、考えて、試して、また失敗して、そうやって学んでいったんだ。だからどの粉をどうすればどうなる、って全部わかる。失敗から学ぶってすごいもんなんだよ。弟子についていないから、応用がきくんだよ。これも食べてみろ」
井島さんがそう言って出してきた「豪麺(ごうめん)」をいただくと、おや?これも経験したことのない味だ。一番近いのはラーメン店のつけめんか。でも麺のコシが、よくあるつけめんの妙に強調されたコシとは違う。粉の力だと感じる。噛むと粉の香りと味がグッと押し出される。うまいなあ。でもこのつけ汁はなんだろう。不思議な旨味があるけど、もしかして……。
「......旨味調味料、入っています?」
「そんなもん入れるわけねえだろ!」
うわわ、ぶん殴られるかと思った。やべえやべえ。慣れた頃が一番危ないよね。自動車の運転と同じで。
「豚骨、鶏肉、豚バラ、背脂、そういうので出汁をとってる。あと、しょっつるだ」
それだ。しょっつるの旨味だ。
「あれは高いんだよ。1Lで3,000円ぐらいするんだ。この麺はできるまで半年かかった。北海道、岩手、群馬、埼玉、長野、この5つの産地の粉をブレンドして、それぞれのいいとこを引き出したんだ。いろいろつくってんだよ。毎月新メニューを出してる。お客さんがいつ来ても新しい味が楽しめるように。俺は粉のことは全部わかるからな、今度はピザもやるかもしれん」
「ピザ?」
いやはや、すごい。古希を迎えてもなお、歩みを止めない。前しか見ていない。
「俺は自信があるんだよ。故郷の秋田から出てきたときは19歳だ。もう50年も前だよ。そんときの全財産は5,000円だ。会社の寮に住み込んで勤め人だよ、最初は。そんとき計算したんだ。一生会社のために働いて、1億円ちょっとしか稼げねえ。それで人生終わりだ。つまんねえじゃねえか。それに俺は、アレやれ、コレやれ、って人から言われるのは好きじゃないんだよ。アレやれ、って人に言うのは好きなんだけどな」
「そうでしょうね」
「で、23歳で独立して野菜の引き売りをやって、スーパーを3軒建てた。29歳で家を建てて、2年で払い終えたよ。でも例の規制緩和で個人店はやっていけなくなった。だから必死で技術を習得して、うどん屋になったんだ」
そのうどん屋がいまでは全国から客が来る行列店だ。己の道をグイグイ切り拓いてきた。
「俺んとこは体に悪いものは一切出さない。粉も水も厳選している。なんもかんも全部、徹底的にちゃんとやってるんだ。だから自信があるんだよ」
強いはずだよな。進めるはずだ。“人間力”を支える最大の武器を持っている。経験と行動に裏打ちされた、ぶれない芯。
僕は箸を置いた。長い時間、井島さんとこの店を追ってきたけれど、そろそろお暇しよう。
「あ、そうだ。駕籠休みってどういう意味なんですか?」
最初に疑問に思ったことを訊くのが、最後になった。
「氷川神社の参道がすぐ裏手にあるだろ。お参りする人に休んでいってもらう、って意味でつけたんだ。もともとは駕籠に乗った殿様が休む場所って意味でな、故郷の秋田にそういう地名があるんだよ」
「えっ、地名ですか?いまでもあるんですか?」
「おう、ある。ちゃんといまでも松の木があって地蔵さんがいるよ」
「へえ」
どのあたりにあるんだろう。帰宅してパソコンに「駕籠休み、秋田」と打って検索してみると……あれ?出ないな。「休み」を取って「駕籠」や「駕篭」で検索してみる。……出ない。そんな地名はない。
いや、きっとあるのだ。天上天下唯我独尊、そう言って天を指す、ラオウの地図には。
了
文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇