モモタロウの手打ちうどん「駕籠休み」
「駕籠休み」は本当にうどん屋なのだろうか?

「駕籠休み」は本当にうどん屋なのだろうか?

「駕籠休み」の店主、井島秋三さんは、1949年生まれの70歳。とてもそんな年には見えない。全身からエネルギーが漲り、雷鳴のような声で話す。すごい迫力だ。漫画『北斗の拳』の暴君ラオウみたいだ。夜もいつ寝ているのやら。夕方からうどんの生地を仕込み、夜中から麺を打つ。取材をした日は、夜明けの5時に麺打ちが終わった。さあ、僕らも帰って寝よう。と思っていたら、ラオウが「じゃあ次は市場だ」と言う。

ラオウは市場で桃太郎と呼ばれていた。

夜を徹して行われる麺打ち。作業が終わる明け方頃、今度は市場へと向かう。

「市場には毎日行くんだよ。なぜかって?そりゃお前、市場には1万円札がいっぱい落ちてるからじゃねえか」
「ちょっと、何言ってるのか……」
「足下に落ちてんの。人によっては石ころにしか見えないかもしれんがな、俺には1万円がいっぱい見えるんだよ。ま、それは後で説明するから、とりあえず先に行っててくれ」
「は、はい。でもどこに行けば?」
「事務所に行けばいいよ。桃太郎って言えばすぐわかるから。俺、桃太郎だから」
ラオウじゃないのか、と思いつつ追い立てられるように店を出て、市場に車を走らせた。10分ぐらいで到着。事務所に行って、半信半疑で「桃太郎さん知ってますか?」と聞くと、「桃さんかい?」と即座に返ってきた。

辛味大根うどん
ワシと歯に吸い付いてくるような食感の麺に、大根を自分で好きなだけおろして食べる「辛味大根うどん」780円。

間もなく井島さんがやってきて、場内を歩き始めた。行く先々で「よう」と挨拶し、市場中に響くような大きな声で話す。ここでもやっぱり大親分だ。

「俺は野菜の引き売りから始めただろ。もう何十年も市場に通ってるんだよ。行かないと気が済まないの。で、引き売りで儲けてスーパーを出した。その名前が『グリーン桃太郎』だ。だからみんな、俺のことを桃さんて呼ぶんだ。誰も知らないよ、俺の本名。桃太郎だと思ってるよ」
んなアホな、と思いつつ、「なんでスーパーの名前を桃太郎にしたんですか?」と訊いてみた。
「子供から年寄りまでみんな知ってるだろ。で、野菜を扱ってるから『グリーン桃太郎』。インパクトあるだろ。一回聞いたら忘れないだろ」
「確かに……」

井島氏
市場の喧騒の中でも、ひときわ大きく響く井島さんの太い声。

井島さんは場内を歩き、各店をまわりながら「これとこれをくれ」とどんどん注文する。店員に命じるばかりで、お金も払わないし、商品を持ち運びもしない。店員が井島さんの車に運んでいく。
ある店の人が言う。
「社長、あと1000しかありません」
井島さんはサッと2万円を渡す。前金か。
「伝票切らないんですか?」
「そういうの大変だろ。向こうに任せてる。信頼でやってんだよ」
確かにラオウ相手にちょろまかす命知らずはいないだろうなあ。もっとも、みんなニコニコ「桃さん」あるいは「社長」と呼んでいる。いかにも親しみのこもった笑顔だ。
青果店の人が声をかけてきた。
「へえ、取材かぁ。あんたらも大変だね。この人には俺たちもいじめられてるんだよ」
バカ言え、と井島さんは笑いながら「この店はなんでも安いんだ」と言う。店の人は「怖いから安くしてるんだよ」とニコニコ話す。……気のせいか、笑顔が苦笑いに見えてきた。

店頭に並ぶ野菜たち
うどん屋「駕籠休み」の店頭に並ぶ野菜たち。目利きの井島さん自身が市場で選んで買い付けてきた品だ。
うどん屋になぜか果物も並ぶ
うどん屋になぜか果物も並ぶ。スーパーではあまり見ない希少品種も市場で買い付ける。

「リスペクトしています」と市場の人から言われるラオウ。

井島氏
浦和市場で6時30分から始まる競り。チェーンのスーパーが増えた今では商品の大半が競売前に取引されるが、競り落としたほうが概ね安い。

「この大根、見てみろ」と井島さんが言う。「今日は1本30円ぐらいだけど、10円ぐらいのときもあるんだよ。もったいねえな、何かに活かせねえかな、と思って、1本そのまま、おろし金をつけて出すってのを思いついたんだ。好きなだけおろして、うどんにのせてもらって、残りは持って帰ってもらう。気持ちいいだろ。お客さんも喜ぶだろ。商品見てパッと機転を利かせることが大事なんだよ。市場に1万円落ちてるってそういうことだよ」。

サンプル棚
市場で見つけた1万円は、店では様々な姿になって提供される。

精肉店では若い店員を紹介された。彼は僕に向かって意味ありげに笑う。
「大丈夫ですか、社長についていけてますか?」
「はは、なんとか」
僕は苦笑したあと、細心の注意を払って声を潜め、「やっぱりあの人、大変ですか?」とこそっと訊いてみた。
「大変です(笑)。こだわりがすごいですね。たとえば豚バラを5cmに切ってくれって言われて、その長さがちょっとでも違うと『ダメだこれ』って」
「返品?」
「返品まではいかないけど、指摘が厳しい。最初はうるさいな、やだなって思いました。でも、ただうるさいだけの人っているけど、あの人は違った。ちゃんと理由があって、すべてにこだわってる。店にも、食材にも、人にも。あれくらいの年齢の方って適当な人が多いんですけど、あの人は常に前に行こうとする。常に新しいことにチャレンジしている。すべてお客さんに喜んでもらうためです。その真意がわかったんで、こっちも真剣に向き合ってます。いまは本当にリスペクトしてますね」

メモ
市場に並ぶ食材からインスピレーションを得て、井島さんは毎月新商品を考え出している。常連客が新しい味に出逢えるよう一度も欠かしたことはない。

「特選和牛丼」の肉を見せてもらうと、本当に100g1,500円の黒毛和牛だった。
「ウチでは一番高い肉です。需要がないので、これ以上のは扱ってません。ええ、知ってます。580円の丼で出してるんでしょ。お客さんへの感謝の気持ちがすごいというか。僕たちには厳しいけど(笑)」

「特選和牛丼」580円
数量限定の「特選和牛丼」580円。100g1,500円の黒毛和牛を100g使っている。計算が合わないが、そこはラオウの神通力か。

井島さんは海産物店に僕たちを紹介すると、自身は精肉店に取って返した。海産物店の大将も「あの人は大変だよ~!」とニコニコ笑いながら言う。竹中直人のギャグ「笑いながら怒る人」みたいだ。
「よく値切られるよ~!」
そうだろうなあ。鰻丼も580円で出しているんだから。
「でもね、あの人の言ってることもよくわかるんだよ。自分が利益を出すより、お客さんに得してもらう、ってのが基本にあってね。その部分はまあウチも協力させてもらうってことで」

井島氏の筆による箴言
市場の海産物店のレジ横には、なぜか井島さんの筆による箴言が貼られている。
井島氏自筆の書のコピー
井島さんが自筆の書をコピーし、店に渡したらしい。店側が頼んだものかどうかは、あえて未調査。

井島さんが精肉店から戻ってきた。
「さっき肉屋で見ただろ、特選和牛丼の肉」
「はい、確かに1,500円の黒毛和牛でした」
「今日はあれが○○円になった」
「えっ?……なんでそうなる?」
信じられないような安値だ。
「だから言ってるじゃねえか、信頼でやってんだよ。市場に1万円落ちてるってのはそういうことだよ」
「は?」
「さ、帰るぞ」
「は、はい!」
“信頼”も“1万円”もさっきと意味がちょっとずつ違うような……と思ったが、桃太郎、いや、ラオウの前では、そんなことは当然言わなかった。

仕入れ
市場には毎日仕入れに行く。野菜たちは料理に使われるほか、店頭や店内で産直店のように売られている。

――つづく。

文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇

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石田 ゆうすけ(旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。