2019年5月5日から6月3日は、ムスリムにとって「聖なる月」であるラマダン月だった。ムスリムは日の出から日没まで一切の飲食を絶ち、日没後には一般の人も参加できる食事会、イフタールが行われる。日本最大のモスク「東京ジャーミイ」で、500分のトルコ料理が振る舞われるイフタールと、ラマダン月の特別な夜の礼拝であるタラウィーを見学した。
「日没後の礼拝が始まります。モスクに戻りましょう」
東京ジャーミイ広報担当の下山茂さんとともに、再びモスクの入口前のテラスへ移動すると、大勢のムスリムが水を飲んでデーツを食べていた。
デーツとは“ナツメヤシ”のこと。ビタミン、ミネラルなど栄養価が高く保存も効くので、昔から砂漠を旅するときの携行食として用いられた。
下山さんによれば、干し柿みたいな味がするそうだ。空腹で頭がクラクラしていた私たち取材スタッフ3人は、ムスリムに混じって遠慮なく手を伸ばす。
「甘い……」
「うまい……」
写真家の阪本勇さんも編集の星野一樹さんも(もちろん、ライター佐々木も)あまりのおいしさに目が潤む。空腹は最上のソースというものの、デーツの味は格別。長さ4cmほどの小さな実から大きなパワーをもらった瞬間だった。
しかし、なぜ、デーツなのか。
「預言者ムハンマドが断食明けに食べていたのがナツメヤシで、ムスリムの人たちはそれに倣っているのです」
下山さんは教えてくれた。
モスクを訪れたのは集団礼拝が行われる金曜日だった
「200人くらいは集まっているかもしれないね」。モスクいっぱいの成人男性を見て、下山さんがつぶやいた。
「あなたたちは礼拝しなくてもいいので、イフタールの会場へ移動しましょう」。下山さんがそう促してくれたが、神聖な雰囲気に魅せられた私たちはしばらくその場から離れることができなかった。デーツのおかげでお腹が少し落ち着いた、というのもあるのだけれど……。
ところが、これが大失敗だったのだ。
イフタール会場はすでにごった返していた。そして、長い長い行列。あらかじめ準備されていたスプーンとプレートのセットも、あっという間になくなり、ボランティアスタッフが慌てて追加していた。
トマトの酸味や豆の甘い匂いなど、食べ物の香りが湯気とともに立ち昇り、会場中を埋めつくしていた。デーツでいったん落ち着いていた食欲が、一気に呼び戻され、私たちスタッフを再び空腹が襲ってきた。
つ、つらい……。空腹って、つらい。
焦点の定まらない目をしている私たちに対して、下山さんが「あなたたちは料理を撮影しないといけないから、特別にぼくが3人分もらってきてあげるから」と気を利かせてくれたのだ。
助かった……。これが正直な気持ちだった。
「慣れないことするから」と下山さんは笑っていたが、今日1日、ほぼ飲まず食わずで過ごしてきた私たちにとって、イフタールは最高のご馳走となった。
今日のメインディッシュは“ビーフキョフテ”。厨房を見学させてもらったときに、大鍋に仕込んでいた煮込みだ。別に準備されていたじゃがいもも、“ビーフキョフテ”に加えられていた。にんじん、なす、ひよこ豆、グリンピース、パプリカも一緒に煮込んでいて栄養バランスもよさそう。トマトの酸味がきいたスープは最後の1滴まで飲み干さないともったいないおいしさだった。
豆のスープは、レンズ豆をポタージュのようになめらかな口当たりになるまで煮込んだもの。塩、コショウのほかに少しだけ唐辛子を加え、わずかにピリッと感じる辛みがアクセントになっている。「レモン汁を加えてもおいしいよ」とシェフからアドバイスをもらったので、テーブルの上のレモン果汁を数滴垂らすと、味が劇的に変化して2度楽しめた。
“バターライス(バターピラフ)”は、日本のうるち米を使っていたがここに“シェヒリエ”という米の形をしたトルコのパスタを加えて炊くと、一気にオリエンタルな雰囲気になる。バターのコクと塩味がきいていて、それだけで食べても満足感がある。お隣に座ったトルコ人の男の子は“ビーフキョフテ”にライスを浸した"汁かけ飯"をおいしそうに食べていた。目が合ったので、「おいしい?」と聞くと、うんと小さく頷いた。
デザートはすいかと、トルコや中東で人気の“バクラヴァ”というお菓子。パイ生地の間にピスタチオなどのペーストを挟んで焼いたものに甘いシロップがかかっている。これがもう強烈な甘さなのだ。お酒を飲まないムスリムには甘党が多く、バクラヴァを一度に3、4個食べてしまう強者もいるそうだが、左党の私は1個で十分堪能できました。
――つづく。
文:佐々木香織 写真:阪本勇