東京・新大久保「イスラム横丁」をゆく。
喜びを倍に、悲しみは半分にする「イフタール」。

喜びを倍に、悲しみは半分にする「イフタール」。

日の出から日没まで断食し、日没後に500人ものムスリムが参加する食事会「イフタール」に参加した。大勢の知らない人同士が集まって、同じ料理を味わうことは、もしかしたら奇跡に近いことなのかもしれない。

大勢が同じ場所で、同じ料理を食べるということ。

「東京ジャーミィ」広報担当の下山茂さんによれば、今宵のイフタール参加者は500名にのぼるそうだ。ムスリムだけでなく、あらかじめ申し込んでいたノンムスリムも訪れていた。
「危うく料理がなくなるところだったよ(笑)。実際に足りなくなることもあるからね」
会場には参加者全員が座れるほど椅子がないので、食べ終わった人は席を立ち、互いに譲り合う。

礼拝
食事を終えたムスリムの中には、再びモスクに戻り、タラウィーというラマダン月の特別な礼拝を行なう者も。イフタールが終わってしばらくすると、モスクでは礼拝を呼びかけるアザーンの声が響き渡る。
モスクの内部
モスクの内部は、コーランの一節が書かれたカリグラフィの装飾が多く施されている。外内装は約100人のトルコ人の職人が手がけた。

それにしても、こんなにも大勢の人と同じ場所で、同じ料理を食べるのは、いつぶりのことだろうか。中学時代の給食?いやいや、修学旅行で泊まった奈良の旅館だったかな。大人になってからはどうだろうか。大箱の居酒屋やレストランで食事をすることはあっても、そこにいる人全員が同じものを食べることなどあり得ない。結婚披露宴や法事など、セレモニーの食事とも意味合いが違うし……。

そんなことを考えていると、今、この瞬間が「奇跡」のように感じるのだ。
知らない者同士が、同じ場所で、同じものを味わうことを、奇跡と呼ばずして何と呼ぶのか。

礼拝の指導者であるイマームも、目を瞑ってアザーンを聞いていた。
礼拝の指導者であるイマームも、目を瞑ってアザーンを聞いていた。
礼拝の基本動作のひとつ。立った姿勢で両手を耳まで上げ、コーランなど決まった文言を唱える。
礼拝の基本動作のひとつ。立った姿勢で両手を耳まで上げ、コーランなど決まった文言を唱える。

ラマダンは苦行ではなく、喜びなのだ。

「どんどん隣の人に話しかけなさいね」。下山さんが背中を押す。
「困ったら、こう言うの。『アッサラーム アレイクム』。あなたの上に平安がありますように、ってね。もし、相手から言われたら『アレイクム サラーム』と返せばいいよ。ムスリムと打ち解けられる魔法の言葉だよ」

今夜は予定外のコンサートまで突如始まり、会場はお祭りのように盛り上がっている。
東京ジャーミイの創設者のひとりであるギュレチ・セリムさんが管弦楽団を引き連れて、トルコの伝統音楽を聞かせてくれたのだ。

「音楽を聴きながらおいしいイフタールをいただけるなんて、今日は素敵な日!」
インドネシアの女性が、少し興奮気味に嬉しそうに話しかけてきた。私も彼女と一緒に、音楽に合わせて手拍子を打つ。
「あなた、ムスリムなの?」と女性。
「いいえ。でも、今日1日断食をしました」と答えると、晴れやかな笑顔で「おめでとう」と返してくれた。

「トルコ・コンヤ・ムーシキー」の皆さん
「トルコ・コンヤ・ムーシキー」の皆さんが飛び入りライブを開催。
予定になかったコンサート
予定になかったコンサートに、イフタール会場は大盛り上がり!スマホの先にはトルコの伝統楽器をつま弾く楽団の皆さんが。

「食事は社会的な行為。一緒に食べること、『共食』こそが、最高の味つけです。一緒に食べれば喜びは倍になり、悲しみは半分になる。人と人との絆を教えてくれるのがラマダンであり、イフタールなんです」
下山さんの言葉を反芻する。

ラマダンは苦行ではなく、喜びなんだな。
たった1日の体験だったが、ほんの少しだけムスリムに近づけたような、気がした。

タラウィーの礼拝
タラウィーの礼拝は2時間以上続くという。義務ではなく、各自の裁量でできるところまで行なうそうだ。

――つづく。

文:佐々木香織 写真:阪本勇

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佐々木 香織(ライター)

福島出身の父と宮城出身の母から生まれ、東北の血が流れる初老の編集ライター。墨田区在住。食べることと飲むことが好き。お酒は何でも飲むが、とくに日本酒と焼酎ラヴァー。おもな仕事は新聞やウェブでの連載、雑誌や書籍の編集・取材・執筆。テーマは食べもの、お酒、着物など。