さぁ、お昼ごはん。初めての田植えは、なまった肉体のフル活動。しかも炎天下。そりゃ、お腹も減ります。疲れた身体に、にぎり飯が力をくれます。聞けば、この米粒、ちょうど1年前に魚沼の地に植えられた苗から育ったもの。あぁ、もう他人とは思えません。
昼飯を積んだ車が到着した。待ちに待ったランチタイムだ。今朝、東京を出て、はるばるこの魚沼まで運ばれてきた料理や食材が、田んぼ脇のテーブルに次々に並んでいく。
おお!にぎり飯がちゃんとあるぞ。米づくりに汗を流したあとの昼飯は、やっぱりにぎり飯のほかにない。
気がつくと、背後に熱い眼差しが。それまで憔悴した表情を浮かべ日陰にへたりこんでいた人たちが、いつの間にか目をランランと輝かせ、料理を取り囲んでいる。さすがにdancyuの読者さんたち。食べ物への探求心はことのほか高い。中には小さな子どもたちもいる。おっと、ここは一歩後退して、この子たちを先に。
マツーラユタカさんによる料理の説明が始まった。熱心に聞きながらも、ぼくはともかく早く口に入れたくて、うずうずしている。
にぎり飯だけでも3種類も用意。具だくさんの味噌汁もある。新潟の車麩はからあげだとか。わらびとラディッシュのマリネ。これもうまそう。味噌汁はマツーラさんの出身地である隣県の山形から取り寄せた孟宗筍(もうそうだけ)を使った、その名も孟宗汁だという。新潟、山形とご当地にゆかりある品揃えは嬉しい心遣い。
後ほど新潟名物、笹団子のデザートもあるという。この笹団子は東京の新潟物産店から仕入れて、今日、ここへ運ばれてきた。故郷帰りした団子である。これも楽しみ。
さっそく料理を皿に盛ると、味噌汁からではなく、いきなりにぎり飯にかぶりついた。少し甘めの味噌をぬったごはんに高菜を巻いた一品だ。弁慶飯というらしい。小ぶりだが、固く締まった口当たりが頼もしい。固めに握ってくれたのは、移動、運搬を考えてのことか。しかしこの実質的で、腹にしっかりたまる感じはエネルギー補強が大切な肉体労働にぴったりだ。
ほかの2種のにぎり飯も、そしておかずも、全体に味がしっかりとして、メリハリのきいたものばかり。普段、塩分の摂りすぎを気にかけて、薄味にガマンをしている身としては、これもまた嬉しい。
何しろ、体を使って汗をかく仕事では、適度な塩分を含む料理が必要不可欠。デスクワークの合間に食べるランチと同じでいいわけがないのだ。
昨今、炭水化物抜きダイエットが流行っているが、太ることを気にしてなのか。理由は人それぞれだろうが、炭水化物がやたらと悪者扱いされるのは、多くの人が肉体労働から離れてしまったからだろう。これから体を使って汗を流そうというとき、優れたエネルギー源となるのは、やっぱり飯(メシ)=米という炭水化物だ。
そういえば日本人は、長い間、肉類はほとんど口にしなかった。動物性タンパク質というと鶏肉と魚類だけ。それも食物全体の割合からみるとわずかだ。古代の律令制度でも、課税の対象は田んぼで、畑地は除外されたくらいで、あくまでも米中心だった。
豊臣秀吉は、米の石高(量)を基準にして国造りをして、江戸時代までそれは続いた。ともかく米は日本人の命を育み続け、稲作は経済の柱だった。
お米そのものの「うまさがわかる」というのは、実に幸せなことだなあ、などと思いながら、ぼくは昼飯を平らげ、麦茶で喉を潤した。
畦での豪華な昼食をいただいて、ひとつ発見があった。発見というより、ぼくの思い込みかもしれないが、そう的外れではないだろう。
笹団子をいただいたときのことだった。そのとき「お小昼」という言葉をきいた。広辞苑によると、小昼とは昼時に近い時間のことで、もうひとつの意味は「おやつ」だ。たいていの農家では、田植えではこのおやつを食べるのが、当たり前だという。
そして、今日のお小昼は笹団子というわけ。おいしい昼食を堪能し、お小昼を食べ終わると、はたと気づいたのだ。
この豪華な昼食もおやつも、dancyuのイベントだから用意されたというだけではないということ。田植えというのは昔から特別なものなのだ。農家にとって田植えは、春、夏、秋と続く稲作の本格的なスタートである。しかも家族から親戚まで呼びよせてのいっせいの大仕事。つまり一連の農作業の中で、やっぱり特別!なのだ。ぼくらにとって正月の仕事始めのようなものだろう。
その初日に、ことのほかおいしい昼食が用意されるのも、きっとセレブレーションという意味がこめられているに違いない。やっぱり田植えはスペシャル・イベントなのだ。
農業に無関係の都市に住むぼくらが田植え体験を望むのは、稲作民族としての隠れたDNAによるものかもしれないな。
ヨーシ、腹ごしらえした後は、もうひと汗かくか。木陰を飛びだし次の棚田に向かおうとしたら、何やら騒がしい。いったいまたしても何が勃発したのだろうか?
――つづく。
文:藤原智美 写真:阪本勇