米をつくるということ。
さらば青春18きっぷの光。

さらば青春18きっぷの光。

12回に渡って、ガタガタゴーと進んできたカプチーノをめぐる青春18きっぷの旅も大団円。土合駅の地下から地上へ戻り、水上へ向かう。そこから先は高崎で乗り換えて、いよいよ東京である。旅はいつか終わる。けれど、線路はつづく、どこまでも。

エスカレータがあればなあ

上り階段
案内板

ぼくらは地上へ向かって歩を進めた。また人生を考える内省のひととき、と悠長にかまえていたら、階段の途中で急に現実に引き戻された。足が辛い!崇高な精神活動などおかまいなしに、肉体のリアルな痛みがぼくを襲う。下りに比べて、上りはなんときついことか。それを見越してか、途中に休息用のベンチが用意してある。しばし腰を下ろした。ああこれもまた人生の休憩だ。

ベンチで休憩する藤原さん

ふと階段の脇に目をやると、土が剥き出しになった斜面が、一本の坂道のように上まで続いているのに気づいた。エスカレータを設置する計画で設けられたスペースだという。エスカレータがあればなあ、なとど恨み節がつい口から出てしまう。

エスカレータを設置する計画で設けられたスペース

もしかすると、風の又三郎!

自分を鼓舞して歩みを再開、さすがに息が切れたが、どうにか階段を上りきった。無事、地上に帰還できた安堵感からかホッとして肩の力が抜けて、気持ちのいい脱力感を抱えながら歩みを進める。と、とんでもない事態に。突然、帽子とホックで留めてあったコートのフードが後ろから吹っ飛ばされたのだ。
突風だ!ぼくは前方に飛んでいくフードと帽子をあわてて追いかけた。背中にかかるもの凄い風圧で体は宙を飛ぶように前へ!まるでウサイン・ボルトだ。が、連絡通路を出るとピタリと風がやんだ。やれやれ。

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上りきった藤原さん
吹き飛ばされる藤原さん

ところが若手編集者の大治朗君と子ども時代は体操選手だったという写真家の阪本さんは、この突然起こった「風の絶叫マシーン」があまりに面白かったのか、わざわざ突風の中へ、雄叫びをあげながら戻っていった。若いなあ。やれやれ。
と、ぼくは不思議なことに気づいた。風を起こすのは下り電車のはずだ。しかし時刻表には、その時間にトンネルを通過する下り電車はない。えっ?なんだろう。もしや、幽霊電車?きっと時刻表には載らない貨物列車なんだろうな。そうだよね、と江部さんを見た。彼は「さあ」と首をかしげた。ふと階段を下りてきた先の若い男のことがぼくの頭をよぎった。なんか気味悪いぞ。もしかすると、風の又三郎!

駄目押しの案内板

駅舎に戻り、ぼくらが乗る次の上り電車を待つことになった。地上はかなり寒いけれど駅舎には暖房がない。本来、暖房が効いているはずの待合室は鍵がかかっていて入れなかった。仕方がない、この冷えた心と体を温めるために缶コーヒーでも飲むか。見ると自販機には灯りが点っている。おお、ありがたい。
しかし!なんとぜーんぶ冷たいドリンクばかりじゃないか。待合室も閉まった寒ーい駅で、冷えたドリンクしかないとはどういうこと?誰かに意地悪されているみたいだ。

冷たい自販機

いやはや、ここは気分をかえて駅の外に出てみよう。振り返って土合駅の駅舎を正面から眺めた。中央部の三角形の屋根が空に向かって鋭く伸びている。その左に目をやると、同じく三角形の山頂が天を突きやぶろうかと伸びていた。きっとこれが谷川岳だ。なんとシンプルでエレガントな姿なんだろう。

駅舎

眺めていると、不思議と元気がもどってくる。よーし、この元気を抱えて東京へ帰還だ。

藤原さん

おしまい。

文:藤原智美 写真:阪本勇

藤原 智美

藤原 智美 (作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。