シリーズ最終回は、「ひとり飲みの店ランキング2019」第1位に輝く酒場を紹介。江戸の“飲み倒れ”の精神を、「人生を懸けて」追求する神林先生が、自身が手がけるミニコミ誌に挙げた25軒。大トリは、ほれぼれするような江戸弁と旨いつまみを味わう「お母さん酒場」へ。
「吉村平吉」という名をご存じだろうか。野坂昭如氏の小説『エロ事師たち』(新潮社)のモデルにもなった作家で、「元祖風俗ライター」とも呼ばれている。高見順氏、吉行淳之介氏といった作家らのネタ元でもあった(2005年3月死去)。
吉村氏は「平さん(へーさん)」と呼ばれ、誰からも愛されていた。浅草の裏の裏まで知り尽くした平さんが通った酒場の代表が、三ノ輪「中ざと」、ひさご通り「甘粕」、猿之助横丁「かいば屋」と「番所」(この4軒は現在閉店)、「正直ビヤホール」(4位・既出)、西浅草「笹」。そして今回紹介する西浅草「大根や」の7軒だ(吉村平吉氏の著作『𠮷原粋狂ぐらし』『浅草のみだおれ』に詳しく綴られているので、興味のある方はぜひ)。
すべてご存じの方は、かなりの浅草通!
僕の「飲み倒れ」の精神は平さんから勝手に受け継いだものだ。
「かいば屋」は、野坂昭如氏、田中小実昌氏、色川武大氏らが集う文壇酒場として有名だったが、2010年に惜しまれつつ閉店した。ところが嬉しいことに「しゅこう みやもと」(20位)の店内の一角に、金曜限定で「かいば屋」コーナーが復活!かつての常連が集まっている(「かいば屋」については『dancyu』2019年7月号「東京の味わい方」特集で、“伝説の酒場”として掲載しているので、ぜひご覧ください)。
僕がもっとも愛する酒場は「お母さん酒場」だ。
男はいくつになっても母親から褒めてもらったり叱ってもらったりしたいもの。名物女将がひとりで営む店に、男が集まるのはそのためだ。若いうちは「おねえさん」がいる店で遊び呆けていた男も、最後には「お母さん」の膝元に安住の地を求めるのである。
その大切な「お母さん酒場」の1軒であり、今回の「ひとり飲みの店」堂々の第1位に輝いたのが「大根や」である。これは僕だけではなく、このシリーズの写真家、担当編集者の三者の総意によるものだ。
「大根や」のお母さん、安藤幸子さん(81歳)は、深川の生まれ。
先祖は江戸時代、蔵前で札差(ふださし)
サバサバして気風(きっぷ)がよく、江戸っ子女性の生きる化石として人間国宝に指定してほしいほどだ。
お母さんは、元は都バスの車掌さん。懐かしいボンネットバスの時代、当時の車掌は女性の仕事で(都電は男性だった)、切符を切ったり、バスを誘導したり、お年寄りの手助けをしたりしていた。
1957年にコロムビア・ローズが「発車オーライ♪」と歌った『東京のバスガール』のモデルは「はとバス」のガイド嬢。労働者意識が高い都交通局の女性たちは、ジェンダーレスの考えから「バスガール」とは言わなかった。ちなみにお母さんは、バリバリの「60年安保世代」でもある。
1961年頃からバスのワンマン化が進み、他局に異動することもできたのだが、お母さんはキッパリと公務員を辞め、何と1967年にこれまでの職とは畑違いの居酒屋「大根や」を始める(さすが、ちゃきちゃきの江戸っ子!)。
それまでは自宅から出勤していたため、米の研ぎ方さえ知らなかったという。
店名は、「大根は身近にあり、煮ても焼いても何でもこなし、しかも過度に主張しない『野菜の王様』だ」という知人の話から決めた。
そんな見切り発車(車掌さんに対してゴメンナサイ)の「大根や」は、さまざまな人たちのサポートで徐々に軌道に乗っていく。
料理は母親に一から教わった。
店の看板とも言える松の一枚板のカウンターは、横浜の工務店が儲け度外視でつくってくれた。
食器類は、区役所通りの店がお買い得の品をいつも教えてくれた。
食にうるさい松竹衣装のお客さんは、ご飯をひと口食べて「炊き直し!」と命じ、出来たご飯が合格すると、黙って1万円を置いて帰った。
粋な客たちが粋な店へと「大根や」を育ててくれたのだ(発車オーライ♪)。
1982年に閉館した「国際劇場」(「浅草ビューホテル」の場所にあった)で踊っていたSKD(松竹歌劇団)の女性たちも常連だった。彼女たちが好んで食べたのが名物「出雲やき」。
トップスターだった千羽ちどりさんや春日宏美さんたちとは今でも交流がある。
8~10人座れるカウンターの上には大皿料理が。まず楽しみなのは、この「おふくろの味」だ。もつ専門店で仕入れてつくる“牛もつの煮込み”も絶品だし、何より伊豆大島の“むろくさや”があるのが嬉しい。その匂いのせいで最近は焼いてくれる店が少なく、呑み助にとっては垂涎の逸品だ。
常連になると、「大根や通信」という件名のメールを送っていただける。専門誌で文章の仕事をなさっている姪っ子さんが3年ほど前から手伝って発信している。
僕も、お母さんの手書きによる季節のあいさつを毎回楽しみにしている。
「梅雨空號(つゆぞらごう)」をご覧ください。
提灯だけでなく、お母さんこそが「西浅草を照らし続け、僕ら彷徨える酒飲みを娑婆から極楽浄土へと導く燈台守」だ。 どうです、あなたも常連になりたくなったでしょ?
シリーズ:観光客の知らない浅草~浅草高校・国語教師の飲み倒れ講座~
「神林先生の浅草ひとり飲み案内」(了)
文:神林桂一 写真:大沼ショージ