いよいよ、田植えがスタート。探しものはなんだろう?見つけにくいものかな?都会で生活していては、見つからないもの。それが泥の中にあるのかもしれない。炎天下の中、腰を折り、いったい何を探しているのか。でもね、田植えをしてみたら、探していたものが見つかった気がします。
泥土の中に潜んでいる何者かに引きずり込まれるように、左足が田んぼにずぶずぶと埋まった。右足は畦に残ったままの大股開き。小脇に抱えたシートを放り投げて、右手で畦にしがみついた。
かろうじて水面にダイビングは避けられたが、これほど田んぼが「深い」とは思わなかった。
気を取り直して右足も田んぼの中へ。これでめでたく入田完了――。
さて、今度は体の向きを変えてシートを取ろうとしたが、足がまったく動かない。水を含んだ泥って、こんなに重いのか!
まっすぐ上に引き抜こうとしても、びくともしないのだ。
「踵(かかと)から抜くように」と、アドバイスが飛ぶ。
つまりこういうこと。踵を先に持ち上げて、足首をなるべくまっすぐにして、足を引き抜くのだ。それから、あらかじめ見当をつけていた位置に足をゆっくり着地させる。田んぼの中では、たった一歩を踏みだすのに、こういう丁寧で力のいる足の動きが必要というわけ。
苗は前後左右を30cm間隔で植えていく。つまり一辺が30cmの正方形を想定すると、その四つの角にそれぞれ苗を2、3本植えていくということ。それが正しい苗の間隔となる。30cmとは一尺のことだ。
マルチシートを水面に少し広げると、苗植えのポイントが、ペンで記されていた。スタッフさんが、ぼくら素人のために、あらかじめ用意してくれていたらしい。それを目印に指で穴を開けて、そこに苗を植え付けるのだ。
さて、ここから田植えのスタート。最初の一束だ、と慎重に構えて植えつけようとしたが、泥土の表面がフワフワやわらかくて、植わったのかどうか感触がない。まあ、こんなものかと、幅1mほどのシートに4ヶ所、横1列に植えていく。2列を植えると足を左右一歩ずつ後退させて、同時にシートを広げていく。広げては植え、広げては植えのくり返しなのだが、4束の苗を植えるのに20秒、後ろに両足をずらすのに2分と、なんとも移動の手際が悪い。
田植えの実感値は手植えそのものより、泥土と足との格闘にあるようだ。翌日、太股の筋肉痛に悩まされる素人が多いという話に納得する。
「足跡の穴には苗は植わりませんから、気をつけて!」
畦道からスタッフの声が飛ぶ。その指示で合点がいった。ときどき、苗を挿しても水に浮いたような状態になる箇所があるのだ。これは足を踏みこんだときにあいた泥土の穴に苗を挿してしまうから。
となると、足を着地する地点も、苗付けの箇所を外すように計算しなければならないということになる。水が濁っているし、泥が重くて簡単に足が引き抜けないので、これは難しいなあ!
田植えは後ずさりながら苗を植える。前に進みながら植えると、すでに植えつけた苗を踏んでしまうし、まっすぐに正確に植えたかそのつど確認できないからだ。しかし後ずさりしながらの作業は、足の踏み場所を次に植える苗の位置にかぶらないようにしなければならない。このあたりの間合いというか、位置どりの呼吸は、やはり付け焼き刃では無理だ。
それでもシートの長さにして10mほどをなんとか植えた。しかし隣のカップルが敷いたシートとぼくのシートの間に隙間ができて、それがだんだん広がっている。これはまずいぞ!
隣の人と知らず知らずのうちに対抗心が出て、負けないようにと慌てしまい、巻かれたシートを広げながら敷く方向が少しずつずれて、隣との隙間が広がってしまったのだ。最大で20cmほどもあるだろうか。スタッフさんに気づかれてしまった。
隙間ができるとそこから雑草が生え出してきて、最先端のシート栽培(とぼくが勝手に命名)が台なしになる。
スタッフさん曰く。「後で隙間をシートで塞ぎましょう」。こちらは「申し訳ありません」とうなだれる。
夢中で植え付けをやっていたせいか、暑さには気づかなかった。サファリ帽から長袖、長靴、手にはゴム手袋と全身を完全に覆っているのに、暑い!という感覚がない。
すでに気温は30度を超えているらしい。平年の田植え時の最高気温は20度くらい、だという。なんと10度も高い、高すぎるだろう。
にもかかわらず、暑さをそれほど感じないというのは、きっとぼくはどうかしているんだろうな、と思う。
田植えという行為には、人を夢中にさせる何かがある。でも、それはなんだろう?
はっきりわからないが、ただひとつ明らかなのは、人として「正しい行い」で汗を流しているという肯定的な気分が心地よいのだ。ムダなことをしているとか、楽しいか、楽しくないかなどと余計なことはけっして考えない。ただ黙々とやるだけ。そこに疑問を挟む余地がない。
ふと顔を上げて腰を伸ばす。目の前に自分が植えた苗が一直線に並んでいる。働いた成果が目に見える。なんて具体的でわかりやすいんだ。
いまのぼくらの仕事というのは、この具体的に視覚的に成果を実感できるという瞬間が少ない。ぼくなどはまったくない。すべて抽象的で曖昧。その点、田植えは明快な実感を得られる。
そんなことをつらつら考えていると、突然、PAN!PAN!という音が裏山あたりで鳴った。ぼくは思わず肩をすくめた。間違いなく、それは銃声、だった。
――つづく。
文:藤原智美 写真:阪本勇