女だけでは入れない。いまだ硬派な姿勢を貫いている酒場がある。いざ、暖簾の前に立てば、きっと誰もがシャッターを切りたくなるような圧倒的な風格が漂う店構え。聞けばもともとは酒屋だったというけれど。どんな酒と肴が待っているのでしょう。
台東区に根岸という土地がある。
地図で見ると、上野の北隣りにあたる。JR山の手線の鶯谷駅を出て言問通り方面へ向かうと、そこが根岸だ。その隣が入谷でそのまたちょっと上のほうが下谷という感じだろうか。
下町から根津、谷中あたりにかけての地理を知らない人には、いまひとつ、地名の境がどのあたりか見当がつきかねる。かくいう私もその一人ですが、それゆえに、知らない街を歩く楽しみもあるというもの。今回は、そんな根岸の街に足を踏み入れてみましょう。
言問通りは、交通量も多く、昔を知らない私などには変哲もない一本の道にしか見えない。けれども、かつて、この道沿いに、一軒の酒屋があった。
創業は安政3年。西暦でいうと、1856年。明治元年の12年前ということになる。
上野の寛永寺や東京帝大も配達先だったというこの酒屋さんの屋号を、「鍵屋」といった。関東大震災も戦災も免れた店は昭和49年に、言問通りからひと筋入った道に移転をし、現在にいたる。
そう。今回、暖簾をくぐるのは、昭和49年に移転した、その「鍵屋」さんなのである。
そこいらの老舗とわけが違う。
なにしろ創業が江戸時代のお酒屋さんで、昭和になってから店で酒を飲ませる角打ちを始め、戦後、居酒屋になったという筋金入りだ。私などが足を踏み入れてもいいものか、初めて訪ねた15年ほど前は、ずいぶんと緊張した。
そんな酒場の前に立つ。大きくはないが構えがなんとも立派。見ただけで、嬉しくなる。
訪れたのは5月11日、土曜日の、午後5時。開店と同時である。
案内されるまま、カウンターにつく。入口の横の棚に荷物を置いて、身軽な状態で椅子に座れば、さあ、今日もまた、おいしい時間が始まるのだと顔がほころぶ。
まずは、ビール。瓶ビールはキリンとサッポロの大瓶と、アサヒの小瓶の用意がある。では、サッポロの大瓶をもらおうじゃないか。
お通しの小鉢には、煮豆が出てくる。この店に来る楽しみのひとつが、この、煮豆である。大袈裟じゃない。食べてみればきっとわかる。豆を煮ただけで、なにゆえこれほどうまいのか。
カウンターの板はがっしりとしていて、磨き込まれ、すべすべである。板壁も黒光りして、カウンターの背後の入れ込み(小上がり)の卓も同様。見上げた天井は格子天井。古民家風なんて言い方をよく耳にするけれど、こちらは本物。ご主人に聞きましたら、大正時代建築の建物を、ここに移築したのだそうです。
開店からほどなくして、カウンターが埋まり、背後の入れ込みもあらかた埋まる。よかった。開店と同時に来なかったら、座れなかった。
鰻を串に巻き付けた名物の鰻のくりから焼き、鶏モツ、皮をそれぞれ3本ずつ。同行の2人と合わせて3人分、注文する。それから、これも名物と思われる冷奴とたたみいわし。
たたみいわしに醤油をたらし、ぱりぱりとかじる。煮豆と同じなのだが、この店でしか口にしないせいもあるが、なんともいえないほどうまい。こんなに地味なものが、とにかくありがたい。そこへ、くりから焼きがくる。炭火でほんのりと焦げのついた鰻は、すっきりしたタレをまとい、口の中でとろけていく。
――明日につづく。
文:大竹聡 イラスト:信濃八太郎