天神様のお膝元。かつては花街が広がっていた湯島で夕刻から暖簾を掲げる酒場は、どこか洒脱な雰囲気が漂っている。わぁわぁと乾杯する店じゃないけれど、そのしっとりした風情もまたいいつまみ。さぁて、とやかくいわず、この暖簾をくぐってまいりましょうか。
あっという間のことで、振り返れば35年以上、酒を飲んできた。
良し悪しは別として、酒飲みとしては仕上がった感がある。
そんな私は最近、「どこそこへ行くなら、ナニソレという店があるから、寄ってごらんよ」なんてことを、気が付くと若い人相手に口にしている。
もう一度行きたい懐かしい店があり、あそこなら毎週でもいいぞ、と思う店もある。そういう私にとってのいい店を、どうやら若い人たちに教えたいようなのだ。
そこで、今回から、あそこ、行ってごらん、と自信をもって言える酒場(食堂や蕎麦屋なども入ってくるかもしれない)を、思い出すまま気の向くまま、ご案内したいと思う。
まずは、どんなふうにして、とある店へ入るか、という、そこから始めよう。
仕事の帰りだ――。
あまり知らない街にいたら、私はいつも、チャンスだと思ってきた。
急ぐ用事のない日なら、少しぶらぶらしてみて、居心地のよさそうな飲み屋を探す。入っても入らなくてもいい。見るからにシブい構えの飲み屋に限る、というほど、力の入った話でもない。
街中華、大いに結構。
少し古びて、風格さえ漂うような大衆食堂なんか、もっと、いい。ランチをやっていたらきっとうまいだろうな、と思わせる喫茶店なんかでもいい。
大衆食堂ならアジフライ。喫茶店ならチキンカツ。それと、ビール。小瓶なんかあったら、もう言うことはない。
それくらい気楽に構えて街を歩く。何事かしなければならぬ、と、考えてはいけない。どれほどシブい構えの飲み屋であっても、がらりと扉を開けるなり、
「テメエの来るとこじゃねえや!」
なんて怒鳴られることはまずない。この私にしても、35年を超えるヘビーな飲兵衛生活の中で、これに似た経験はたった一度あるきり。だから安心めされよ。肩の力を抜いて入ってみるだけのことだ。
連載1回目なので前置きがすっかり長くなったけれど、さて、ここから本題。このたび私達は、夕刻の湯島にいるのである。
目指すは「岩手屋」。昭和24年に付近で開店し、30年代の初めから現在の建物に暖簾を下げる老舗である。恐れることはない。さあ、入ってみよう。
店は奥に向かって深い空間になっている。左側はテーブル席、右側にはカウンターが延びている。
1人、2人ならカウンターがいい。古い店の特徴かもしれないが、カウンターは低く、安定感がある。ここの居心地は素晴らしいよ。古びた棚や酒樽が視界に入ってくるし、壁の品書きも見やすいのだ。そしてなにより、白木のカウンターの清々しさよ。
瓶ビールをもらおうか。
お通しの小鉢をつつきながら、まずは乾杯。冷奴とか、この季節ならまだ、山菜の天ぷらなんかでビールに合わせるのもいい。刺身、酢の物、煮物、焼き物、お新香など、いろいろあっても、悩んだり、迷ったりする必要はない。
ビールの後で、日本酒にするなら、「岩手屋」で飲みたい銘柄は「酔仙」だ。
この店は、創業者が盛岡の方だから岩手屋なのだが、「酔仙」も岩手の酒蔵。東日本大震災で、陸前高田にあった蔵も倉庫もすべて失ったが、その年の夏に苦難を乗り越えて酒造りを継続し、秋に出したのが、活性原酒「雪っこ」。これがあれば、まずは1杯いただきたいところだが、時期が合わなかった場合は、「酔仙」の樽酒がある。
樽酒なら燗をつけてもらうのはどうだろう。新緑の季節から梅雨にかけては、夜はほどよくひんやりする日が少なくない。そんなときに飲む燗酒は、かえって味わい深いものだ。
つまみは何にするか?
そうさねえ。たとえば酢締めのサバとか、あるいは、焼きたらこ。うるめ鰯なんかもいい。
若い人たちは、ひと腹のぼってりしたたらこの網焼きなどを飯のおかずにするだろうか。
目刺しを齧りながら湯呑みで日本酒を飲んだ私などからすると、ちょっと想像がつきかねるところなのだけれど、こういう飲み屋さんで、ほどよく焼いたたらこの香ばしさと塩気と、たらこそのものの旨味を噛みしめながら酒を飲む楽しさは格別なのだ。
この組み合わせの具合の良さは、炊き立ての飯に焼きたらこを乗せてかき込む旨さと双璧で、ああ、うめえなあ、とひと言漏れてしまって当然というものだ。
明日につづく。
文:大竹聡 イラスト:信濃八太郎