初物好きな江戸っ子がひと際盛大にもてはやした魚、初鰹の季節がやって来た。江戸前の伝統を継ぐ「㐂寿司」にて、刺身で、握りで。皮は炙ってつまみで。初鰹を、その風情とともに存分に味わいたい。
5月、東京の下町は待ちに待った祭りの季節を迎える。古い町並みが残る下町の家々の軒先には艶やかな軒花提灯が飾られ、どこからともなく祭囃子が聞こえてくる。
昼下がり、「㐂寿司」の風格漂う日本家屋で、遠くに祭囃子を聞きながらつまむ鮨もいい。番頭の山岸利光さんが白い歯を見せて、こっそりと下町の事情を教えてくれた。
「もうね、祭りが近づくとこのあたりの人は落ち着かないですよ。みんな浮足立っちゃって。それも数週間も前からなんです。先代の旦那もこの季節ばかりは心ここにあらずでね。気候もいいし、下町が一年で一番にぎやかになる季節ですね」
そんな祭囃子にせかされるようにして、今年も江戸っ子好みのあの魚の季節がやってきた。
それが鰹である。
「㐂寿司」の木札に「かつお」の文字がお目見えすると、早くもそれを聞きつけた客が続々とやってくる。むしろ「かつお、あるかい?」と暖簾をくぐって季節の到来を確認することが、こうした人々の習慣であり、体に染み付いているのだ。
こうした粋人は東京で「通」と呼ばれた。四代目の油井一浩さんがこの日、仕入れたのが鹿児島で揚がった6kgの鰹だった。
鰹は足が早いので、1匹(マル)ではなく、半身だったり、4分1にした状態で仕入れる。4分1とは1匹の鰹の中骨を除いて二枚におろした、その半身をさす。
付け台の上の見事な鰹。ぽってりとしていていかにもうまそうだ。その身はフランスで造られたワインのロゼを彷彿とさせる。いわゆる「深いばら色」だ。
「いいですね。いい魚ですよ。鰹って捨てる部分がないんです。刺身や握りはもちろん、血合いの部分は塩焼きにしてお出ししたり、皮目は短冊にしてきゅうりといっしょに酢の物にしてもいい。これから夏にかけてはカジキもないし、マグロも期待できません。赤身の魚の主役といえば鰹ですよ」
「㐂寿司」ではマグロは「背」を使うのが流儀だが、鰹は魚の状態によって「腹」と「背」の部位を使いわける。本来、東京では鰹を炙って「たたき」にする慣習はなかった。ただ、「㐂寿司」では魚によっては串を打って皮目の部分だけに遠火の強火に当て炙ることもある。
「皮目に火が入ることで、香ばしい風味がつき、食べやすくなります。本当は脂の乗った秋口以降の鰹に施す仕事なんですけどね。握りにするときはわさびではなく、細かく刻んだ青ねぎと生姜をかませます。ねぎの青い香りと爽やかな生姜の風味が、シャリと実によく似合うんです」
――つづく。
文:中原一歩 写真:岡本寿