
ティーンエイジャーだった頃に食べたラーメンの味が忘れられず、ラーメンを生業にしたのが雑司が谷にある「ターキー」。その源流を辿ると、ある店が浮かび上がってきた。その名も「七面鳥」。この店の暖簾をくぐらなければ。思いたったら吉日。自転車に跨り、思い切りペダルを踏んだ。ほんの隣町に向かって。
前回の旅で、雑司ヶ谷の「ターキー」で食べたラーメンの味に惚れ込んだ。そのとき、店主の甲立一雄さんから聞いた話が気になって仕方がなかった。かつて新宿に「七面鳥」という店があり、当時中学生だった甲立さんはよく行ったらしい。ラーメンが本当にうまかったんだ、と遠い目をして語ってくれた。約60年前の話だ。
甲立さんは自分の舌を頼りに研究を重ね、29歳で店を出した。店名は「七面鳥」にあやかって、「ターキー」。以来44年、変わらぬ味を出し続けている。
新宿の「七面鳥」はとうになくなっているが、あるとき客から、高円寺に暖簾分けした「七面鳥」がある、と聞いた。
――という話を、僕は甲立さんから聞いて俄かに活気づいた。「ターキー」の原点ともいえるラーメンを引き継いでいる店かもしれないのだ。しかも高円寺は僕の住む阿佐ヶ谷の隣町。行こう、自分が惚れた味の系譜をたどる旅に!……すぐ近くだけど。
ということで、春のうららかなある日の午後、愛車“パナソニック号”に跨り、出発。細い路地を当てずっぽうに入っていく。今回はどれだけ迷ったっていい。なんせ隣町だ。
と、いきなり“お宝”を発見。
すわ、手延べガラスか、と窓を凝視したが、濡れたガラスのようなあの風合いはなかった。
でもこういった田舎のおじいちゃんの家みたいな古い家や古い商店街が、JR中央線沿いには多い。散歩のしがいがある。14年前、和歌山の田舎から出てきた僕が阿佐ヶ谷に住もうと決めたのも、レトロな空気にホッとしたからだった。
実は最初、隣町の高円寺とどっちに住むかで迷った。高円寺も中央線沿いで、やはり味があるし、家賃は高円寺のほうが安い。で、再度下見に行くと、ジーンズをお尻の下までずり下げ、パンツを出して歩く若者がいた。「お兄さん、パンツ丸見えやで」と教えてあげようかと思ったが、見渡すとそこらじゅうパンツ丸出し兄ちゃんだらけなのだ。ここでは原稿は書けん、と思った。自転車世界一周という旅をやって7年以上日本にいなかった僕は、“腰ばき”を知らなかったのだ。高円寺はヤングな町だったのだ。
入り組んだ路地をクネクネ走っていると、昭和が香るエリアに出た。
同じ棟が次々に前方から現れ、景色がほとんど変わらなかった。奇妙な気分だった。旧社会主義国の集合住宅群の中を走っているようだ。
なおも入り組んだ路地を縫うように走ると、川に出た。和田堀公園やん。思わず笑ってしまった。東を目指したのに南に出るなんて。僕は重度の方向音痴なのだ。
それでも懲りずに未知の路地に入っていくと、本当にどこがどこやらわからなくなり、スマホを持っていない僕は「すみません、高円寺駅ってどっちですか?」などと隣町にも関わらず人に訊ねて、やっと駅が見えてきた。そこでまた人に聞きながら、「七面鳥」に向かうと、あれ、この通り、見覚えが……。
そうだ、この連載『麺店ポタリング紀行』の第1回目で来た道だ。高円寺に「高円寺」という寺があることを知って、ひとりでウケたのだ。
あれ?わっ、「七面鳥」だ。
件の高円寺のほぼ向かいではないか。前回は全然気がつかなかった。俺の目は節穴かぁ。トホホ。“お宝”アンテナには自信があったんだけどなあ。
《休憩中》という札が出ていた。時計を見ると16時過ぎ。夜の部までもうちょっとかな。それまで街を散策するか、と高円寺駅に向かえば、スカート姿の若い男や、オーバーオールをまとったピエロみたいな格好のおじさんがいた。すぐ隣だけど、阿佐ヶ谷とは雰囲気がまったく違う。住むならやっぱり阿佐ヶ谷だなあ。
と思ったが、“宝探し”という目的で見始めると、街はガラリと変容するのだ。
詩情豊かな街には、やっぱりいい喫茶店があるのだ。「七面鳥」で食べたあとに、来ようかな。
正直、ちょっと嫉妬すら覚えた。阿佐ヶ谷は僕が住み始めた14年前と比べると、古いものがどんどん消え、街の匂いが薄れてきているのだ。いまでは高円寺のほうが味があるかもしれない。
その古さに加え、アート好きが集う活気とユーモアが、この街にはあった。「七つ森」もそうだが、店名が洒落ている。
パンツ丸出しの町という第一印象から、変な色眼鏡で見てしまうようになったけれど、なんだよ、高円寺、いい町じゃないか。
旅が視界を変えたのかな。旅は“その地をおもしろがろうとする”行為だ。こっちの意識ひとつで、世界は一変する。
さぁ、そろそろ「七面鳥」も開いた頃だろう。
ふふ。夜になるとますます昭和になる。
さぁ、前号で確信した、“古い店は間違いない”説は、今回も当たるかな?
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ