ハラルフード店を散策した後、新大久保のイスラム横丁を飛び出して、パキスタン人コミュニティがあるという埼玉の八潮に向かった。イスラムごはんのレシピを教えてもらうために、地域の一番店「カラチの空」へ。まずは店主のザヒット・ジャベイドさんに話を聞いた!
八潮は案外、近かった。つくばエクスプレスで、秋葉原から最速で20分足らず。そこに通称“ヤシオスタン”があることは知っていたが、駅前のスコーンと抜けた、いかにもサバービアな風景からはパキスタンの「パ」の字も感じられなかった。
駅前のロータリーで待っていると、「カラチの空」店主のザヒット・ジャベイドさんが車で迎えにきてくれた。パキスタンの民族衣裳、シャルワールカミーズを身にまとい、「いらっしゃい」と笑顔で手を振る。
車に乗り込み、八潮がヤシオスタンと呼ばれるようになった経緯をザヒットさんに聞いてみる。
「バブル期に中古車輸出業者がこの町に増え、それに携わるパキスタン人が来日し、暮らすようになったそうです」
ザヒットさんによれば、八潮市には約150人のパキスタン人が住んでいて、彼らが経営する関連企業は50社近くにのぼるそうだ。
「近隣の越谷市や三郷市なども含めれば、1500人くらいは住んでいるんじゃないかな」
そこまで大勢だとは思ってもみなかった。
八潮はパキスタン人コミュニティの核となる町。モスクも存在する。ならば、彼らの味覚に合う料理店も当然存在するわけで「カラチの空」は、まさにその代表格なのだ。
ザヒットさんがこの店のオーナーとなったのは、2010年。以前は別の人が経営していたそうだ。
「八潮には当時カラチ出身のパキスタン人が多かったので、店名にカラチの地名を入れたそうですが、経営者はインド人(笑)。料理の味にはムラがあるし、お客さんもゲームをしていたり、チャイを飲んでいたりして、全部がバラバラ。きちんとしたおいしいパキスタン料理を提供したくて、私が引き継いだんです」
1965年生まれで、現在53歳のザヒットさんは18歳のときに来日し、横浜の電子機器会社に22年間勤務していた。
その後、両親の仕事を手伝うために帰国。実家の稼業は「パキスタンの心臓部」とも呼ばれる、パンジャーブ地方の大都市ラホールにある高級レストランだ。
長年日本で暮らし、日本人の礼儀正しさに触れていたザヒットさんにとって、おおらかすぎるパキスタン人との商売は辛いことも多く、再び日本で働きたいと思うようになっていった。
「慣れ親しんだ横浜で商売がしたかった。でも、知り合いに紹介された場所が、埼玉県の八潮だった。正直なことを言えば、何もないところだなあというのが、第一印象でした」
薄暗くて汚い店をきれいに掃除し、ラホールから優秀なシェフを呼び寄せ、お店を蘇らせた。それだけではない。八潮に住むパキスタン人に日本のマナーも教えたという。
「郷に入っては郷に従え、です。日本に住んでいるのだから、日本のルールやマナーを守らないと」
大好きな日本で、母国パキスタンの人たちと日本人が軋轢を生むことなく、仲良く暮らしてほしい。そんな思いも強かったと話す。ザヒットさんの努力もあってだろうか「カラチの空」を訪れるパキスタン人は、大声を張り上げたり、喧嘩をしたりすることなどなく、穏やかに会話しながら料理を楽しんでいるそうだ。
マナーについては“郷に入っては郷に従え”だが、料理の味については一切妥協しない。
「パキスタンの味を忠実に再現しています。日本人の口に合うようにアレンジはしていませんよ」
それでも本当においしければ、パキスタン人も日本人もなく、お客さんは必ず来てくれる。「自信はありましたよ」とザヒットさんは、にやりと笑った。
次回は「カラチの空」の看板料理“マトンコルマ”を、さらにその次は要予約の人気メニュー“チキンカラヒ”のレシピをご紹介します。どちらもパキスタン人のソウルフードで、日本人の舌をも十分に満足させてくれる料理。それほど複雑なレシピではないので、本場の味が再現できるはず。スパイスやマトンなど、使用する食材は、新大久保のイスラム横丁で安く手に入りますよ!
――つづく。
文:佐々木香織 写真:本野克佳