「EST!」のカクテルには、季節がある。限られた時季にしか飲めないカクテルが存在する。去りゆく冬を惜しむように、思い返すように、ホットカクテルを振り返る。解禁の日も、終焉の日も決まっている。その年最後の酉の市が終わった翌日が“アイリッシュコーヒー”の季節の始まりだ。
常連客の多い「EST!」では、季節のカクテルは圧倒的な人気を誇る。「ああ、この果物の季節がきたね」とか、「今年のミントも元気がいいね」とか。
ビルの谷間を木枯らしが吹き抜ける頃、その寒さがむしろ嬉しくなるカクテルが登場する。ホットカクテルの“アイリッシュコーヒー”である。
飲める期間は、バーテンダーに訊ねずとも店内を見回せばわかる。テーブル席の壁に掛けられるタペストリー。白髭の男性がアイリッシュコーヒーを愉しんでいる絵柄だったら、今がその時。時季が終わると、このタペストリーは仕舞われ、ウイスキーの生産地を記したマップが飾られる。
毎年、解禁日は決まっている。その年の最後となる酉の市が終わった翌日で、熟知している客は初物を崇めるようにこのカクテルを目指してやってくる。年によっては三の酉まであるが、日にちで決められているわけではないのが、いい。「だいたい寒くなる頃」が目安なのだ。
コーヒーはマスターによるオリジナルブレンド。ウイスキーは、このカクテルが生まれた地、アイルランドにならいアイリッシュウイスキーを。だが、こんな提案もある。「スコッチウイスキーをベースにすればゲーリックコーヒーに、カルヴァドスならノルマンディコーヒーに、コニャックならロワイヤルコーヒーになりますよ」。
嬉しいのは、甘さを自分で決められること。1個=1gの小さな角砂糖が用意されており、好みの個数を入れてもらえるのだ。
アイリッシュコーヒーが飲めるのは、実は2月いっぱいまで。冷えた身体にしみわたっていく駆けつけの一杯も、家路に就くべく扉をあける勇気をくれるあの一杯も、水ぬるむ頃となったいまは、もう遠くなりにけり。早くも11月下旬の再会が待ちどおしい。
「まずお客様に、どんな甘さの具合がお好みかをお聞きします。甘いのか、ビターか、その中間くらいか。通常は角砂糖2個。お客様によってお好みはいろいろですから、細かい調節ができるように店では1個1gの小さな砂糖を使っています。コーヒーは馴染みにしている2軒のコーヒー屋に、オリジナルブレンドをお願いして、特別に細かく挽いてもらっています。生クリームはコクのあるものを使います。ご注文をいただいてからホイップして直前にのせ、差し出すときは紙ナプキンをそっと添えてね。泡立てたばかりの生クリームですから、グラスを口から離した際、周りに白い髭がついてしまいますからね」
――つづく。
文:沼由美子 写真:渡部健五