「EST!」のカクテルブック
冬の訪れと"サイドカー"|「EST!」のカクテルブック15杯目

冬の訪れと"サイドカー"|「EST!」のカクテルブック15杯目

流行りのカクテルのような、派手な装飾などない。王道をいくごくシンプルな佇まいだ。バランスを考え抜いてたどり着いた1杯のカクテルに、バーテンダーが築いてきた世界観が見えてくる。

100年にわたって飲み継がれるカクテルである。

サイドカーは、1922年に刊行されたカクテルブック『Cocktails How to Mix Them』にそのレシピが載っており、創案者はロンドンにあった社交クラブ「バックスクラブ」のチーフバーテンダー・マクギャリーといわれている。
いずれにしても、約100年前から飲み継がれるスタンダードカクテルである。

ブランデーがベースで、オーソドックスなレシピは、オレンジの果皮が入るリキュールのホワイト・キュラソーと、レモンジュースをともにシェイクしたもの。
王道のカクテルゆえ、ベースのお酒が異なるカクテルの名も浸透している。
ジンがベースになるとホワイトレディ、ラムがベースだとX.Y.Z、ウォッカがベースだとバラライカというカクテルになり、林檎が原料のブランデー、カルヴァドスに替わるとアップルカーとなる。

サイドカー
サイドカーの表面は、シェイクによってわずかに泡立っている。

ブランデーは30年熟成。じっくり味わって飲みたい。

多くのバーが、カクテルに用いるブランデーは現行で流通していて、熟成年数が浅く、比較的個性が出ていないものを選ぶのに対し、「EST!」で使うブランデーは、1980年代まで流通していた銘柄“カトン”のオールドボトル“特級品”を用いる。
カラメルのような甘味、30年以上も寝かせてあるというのに立ち上るフルーツ香、熟成による樽感も感じられる。
ストレートで飲んでも十分に愉しめるブランデーを、マスターの渡辺昭男さんは「味に深みが出るんですよ」と惜しげなく用いる。

ジュース類はすべてフレッシュフルーツを搾ったばかりのものを使用。
シェイカーにレモンジュース10~20ml、オレンジジュース10~15ml、コアントロー10~15mlを入れる。
30年以上熟成させたブランデー“カトン”60mlを加える。
氷とともにシェイクする。

フレッシュのオレンジジュースを入れるのが「EST!」流。

差し出されたカクテルは、いたってシンプルな佇まいでいて、しっかり深い。
熟成したブランデーの深みが全体を覆い、レモンやオレンジの酸味、甘味と重なり合う。
全体的にまろやかな味わいなのは、マスターである渡辺さんのつくるカクテルすべてに共通している味わいだ。

古典的なレシピでは、ジュース類はレモンジュースのみ。そこに、オレンジジュースも入るのは、渡辺さんの考えからだった。

「熟成したブランデーを使うことで、味に深みは与えられます。でももっと柔らかい味わいにしたい。そこで合わせてみたのがオレンジジュースでした。コアントローというリキュールは、オレンジを使っています。そのオレンジの華やかな香りを補う役割として、フレッシュの果汁を合わせてみたのです。味が丸くなるでしょう?これは僕が店を開いた、46年前からのレシピですね」

オレンジ
オレンジをしぼる

完成したカクテルは、最近の流行りのカクテルのようなきらびやかな装飾はない。
でもそこに、季節がめぐってくるたびに、「あのカクテルが飲みたい」と頭に思い浮かぶような静かな衝撃と感動をもたらしてくれる。

――つづく。

店舗情報店舗情報

EST!
  • 【住所】東京都文京区湯島345-3 小林ビル1階
  • 【電話番号】03-3831-0403
  • 【営業時間】18:00~24:00
  • 【定休日】日曜
  • 【アクセス】東京メトロ「湯島駅」より1分

文:沼由美子 写真:渡部健五

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沼 由美子(ライター・編集者)

横浜生まれ。バー巡りがライフワーク。とくに日本のバー文化の黎明期を支えてきた“おじいさんバーテンダー”にシビれる。醸造酒、蒸留酒も共に愛しており、フルーツブランデーに関しては東欧、フランス・アルザスの蒸留所を訪ねるほど惹かれている。最近は、まわれどまわれどその魅力が尽きることのない懐深き街、浅草を探訪する日々。